大橋巨泉さんの妻の寿々子さんが20日午前、コメントを出した。巨泉さんの事務所によると、夫人は精神的にも体力的にも厳しい状況でインタビューなどを受ける状況にないという。コメント全文は次の通り。

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 この度は夫・大橋巨泉の逝去に当たり何かとご配慮をいただき、誠にありがとうございました。本来は、私がインタビューをお受けするべきかとは存じますが、結婚以来47年、何処へ行くのも、何をするのも一緒でという生活を重ねてきたので未だに心落ち着かず、皆様から優しい言葉をかけられるとすぐに涙で声が詰まりお話しできなくなります。そこで失礼な事は重々承知しているのですが、このコメントをインタビューに代えさせていただきたくお願いいたします。

 

 「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ”をあげてください」

 皆様方も良くご存じのように夫は自他共に許す“わがまま”と言われ、痛いことや辛いこと、待つこと、自分の意に染まない事は“避けて通る”というわがままでした。そんな夫が2005年に胃がんを手術、2013年には第4期の中咽頭がんで3度の手術と4回の放射線治療、昨秋には2度の腸閉塞と手術を、そして4月には在宅介護の鎮痛剤の誤投与と続いても、12日までの約11年間の闘病生活を勇敢に戦って来ました。特に4月からの3カ月間は死を覚悟し、全てを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずにじっと我慢してくれました。

 先生からは「死因は“急性呼吸不全”ですが、その原因には中咽頭がん以来の手術や放射線などの影響も含まれますが、最後に受けたモルヒネ系の鎮痛剤の過剰投与による影響も大きい」と伺いました。もし、一つ愚痴をお許しいただければ、最後の在宅介護の痛み止めの誤投与がなければと許せない気持ちです。

 病状ですが、5月までは希望を持っていましたが、6月には体力の衰えが見えて、7月に入ると眠っている時間が長くなりました。それでも娘や孫達の見舞いを受けるとニッコリと笑顔を見せていました。そのころには会話をする気力もなく、頷いたり、手を強く握ったり、目元や口元の動きなどで意思を伝えてくれました。

 そして最後は眠ったまま静かに旅立ちました。

 多分、若くして亡くなった大好きな母親の迎えを受けての旅立ちだと思います。それから永六輔さんの訃報は、ショックの大きさを考えて伝えませんでした。素晴らしい看護スタッフに恵まれて、本人ともども心から感謝をしています。そして何度も電話や手紙で励まして下さいました多くのファンの方やご友人と、優しい大橋家の家族たちには改めてお礼を申し上げます。最後に孫の言葉を添えさせていただきます。

「ジージ、これからは只で何処へでも飛んでいけるね!ニュージーランドでもカナダでも、でもバーバの側に居ないとだめだよ!」

2016年7月20日 大橋寿々子