「11PM」「クイズダービー」など人気番組の司会者として親しまれたタレントで元参院議員の大橋巨泉(おおはし・きょせん、本名克巳=かつみ)さんが12日午後9時29分、急性呼吸不全のため千葉県内の病院で死去した。所属事務所が20日に公表した。82歳だった。

 巨泉さんは変身する。テレビに出る時、取材を受ける時、銀ぶちから、あの太い黒ぶちのメガネに変える。レンズは入っていない。スタジオのライトやカメラのフラッシュが反射して光ってしまうから、最初から抜いている。

 「黒ぶちの巨泉」はプロの顔で、稼ぎまくった。「全盛期のころ田中角栄さんから、参院選の全国区に出てくれないかと誘われたことがある。当時で3億円で補償するからどうだ、と言われたけど断った」と笑っていた。どれだけ稼いでいたのか。

 番組が当たり、CMも当たり、それこそウハウハだったと思うが、巨泉さんがやっていたことは「戦後、個人の権利が保障され、言論が保障され、自由と平和を謳歌(おうか)することが、どれだけ素晴らしいことか、をテレビを通して多くの人に見せつけること」だったのだろう。

 画面の中の大物伝説の一方で、「銀ぶちメガネ」をかけた日ごろの顔は、知的でユーモアがあり、自由と平和が大好きな人だった。

 50代半ばで「セミリタイア」してからは、蒸し暑い日本の夏は避けてカナダに行き、冬は南半球のニュージーランドやオーストラリアに行く。太陽を追いかけて自ら「ひまわり生活」と呼んでいた。米国にあるサマーハウスを訪ねたことがある。カナダのバンクーバーから車で国境を少し越えた米国側のところにあった。インタビューのために行ったのだが、一晩家に泊めてもらった。「(妻の)寿々子の誕生祝いをやろう」と街の小さなレストランでワインを飲んだ。ささやかな幸せを大切にする人でもあった。巨泉さんは年の離れた寿々子さんに甘え、夫婦はとても仲が良かった。

 海外からの視点で日本を見ていた。自らの意思を継ぐ人として、筑紫哲也さんと久米宏さんの名前を挙げていた。「彼らはテレビの中での民主主義を守ってくれるから」と。「自分はがんでも死に損なったから、今の政権は危ないと言い続ける」と言っていた。最後まで「テレビの行く末」と「言論の自由、日本の民主主義」を心配し続けていた。

 もう黒ぶちのメガネと、銀ぶちのメガネの巨泉さんに会えないかと思うと悲しい。【南沢哲也】