大橋巨泉さんは数々の人気番組を世に送り出したテレビの申し子だった。司会にとどまらず、大人の娯楽を紹介する複数のジャンルの評論家として、類いまれな才能を発揮。テレビ界を草創期からリードした。芸能事務所を経営したほか、カナダやニュージーランドにギフトショップを展開するなど実業家の顔も持っていた。

 巨泉さんは早大中退後、ジャズ評論家時代に番組制作に関わり、その後も放送作家としてテレビの裏側の存在だった。出演のきっかけは65年スタートの日本テレビ系「11PM」だった。

 マージャン、ゴルフ、釣り、競馬など雑学と遊びの天才と言われた巨泉さんがディレクターにギャンブルなど得意分野をコーナーの1つに盛り込むことを提案して受け入れられた。出演者に適当な人物がおらず自分が出演した。お色気も取り上げ、低俗との批判をよそに番組はヒット。66年からメイン司会となった。

 好きなギャンブルをイメージしたタイトルの「クイズダービー」をはじめ「世界まるごとHOWマッチ」「ギミア・ぶれいく」に出演。手掛けた番組は軒並みヒット。「クイズダービー」は平均視聴率30%を超えた。司会と同時に番組プロデューサーの役割も果たした。「クイズダービー」では有名ではなかった篠沢秀夫教授や漫画家はらたいら氏を起用。構成など番組内容にも踏み込んだ意見をして充実を図った。出演CMが流行語を生み出すなどタレント活動も活発で、テレビと共に生きた人だった。

 評論家としての顔もあった。競馬は80年代後半まで「競馬エイト」など専門紙の予想コーナーで執筆。学生時代からジャズ喫茶に出入りしたこともあり、50年代から60年代初めまで専門誌に執筆するなどジャズ評論の権威と呼ばれた。56年にジャズ歌手マーサ三宅と結婚、64年に離婚したが、2人の間に生まれた長女大橋美加と次女のチカはともにジャズ歌手だった。マージャンにも精通し、攻略本など多数の著書がある。著書は競馬、英語、グルメ、将棋、自己啓発、美術、メジャーリーグまで扱った著書もある。

 芸能事務所社長としてタレントやリポーターをマネジメント。経営者として73年にカナダに「オーケーギフトショップ」を開店。オーストラリア、ニュージーランドに出店するなど事業を拡大した。

 90年には長寿社会の到来に伴い、「体力のあるうちに余生を楽しみたい」と「セミリタイア」を宣言。社会と関わりは保ちながら、自分のライフスタイルは守る生き方を実践して、多くの中高年世代に影響を与えた。