サリドマイド薬害を克服した実在の女性を主演で起用し、その半生を描いた「典子は、今」(81年)などヒューマニズムな作品で知られる、映画監督で脚本家の松山善三(まつやま・ぜんぞう)さんが8月27日午後8時41分、老衰のため東京都港区の自宅で亡くなった。91歳。女優高峰秀子さん(享年86)の夫だった。葬儀、告別式は喪主を務めた養女明美(あけみ)さんら近親者のみで営んだ。

 脚本家、映画監督、そして高峰さんの夫として、日本映画史に1ページを刻んだ松山さんが静かにこの世を去った。神戸市出身の松山さんは、岩手医学専門学校(現岩手医大)を中退し、1948年(昭23)に松竹に入社。木下恵介監督の助監督として脚本作りを学び、54年の「荒城の月」で脚本家デビュー。小林正樹監督の「あなた買います」(56年)、戦後を代表する反戦映画「人間の條件」(59年から61年まで6部作)、成瀬巳喜男監督の「乱れる」(64年)などの名作をはじめ、生涯で1000本以上の脚本を書いた。

 61年に、ろう者の夫婦を描いた「名もなく貧しく美しく」で監督デビュー。広島の原爆をテーマに描いた「ふたりのイーダ」(76年)など社会的弱者に目を向けた温かい作品を世に送り出した。一方で藤岡弘の主演作「野獣狩り」(73年)や脚本の公募に参加して話題となった「人間の証明」(佐藤純弥監督、77年)など刑事ものも手がけた。

 私生活では、木下監督のもとで助監督を務めた「二十四の瞳」(54年)で親しくなった高峰秀子さんと55年に結婚。日本を代表する女優と一助監督との結婚という“格差婚”だったが、松山さんは高峰さんから「いつか養ってください」と言われると「はい」とだけ答えたという。そして、辻典子さん(現白井のり子さん)を描いた「典子は、今」は配給収入13億円と大ヒットし約束を守った。脚本の他に小説も執筆、ミュージカルを手掛けるなど多才ぶりで知られ、87年に紫綬褒章、95年に勲四等旭日小綬章を受章した。

 おしどり夫婦として知られ、高峰さんが10年12月に86歳で亡くなった後はあまりのショックに言葉が出にくくなったという。高峰さんの誕生日だった12年3月27日に開かれたしのぶ会には、養女の明美さんに付き添われて参加し「うちの嫁さんのためにおいでいただき、ありがとうございました」とだけあいさつした。

 ◆サリドマイド 非バルビツール酸系の化合物。日本では睡眠薬や胃腸薬として販売されたが、妊婦が服用した場合、胎児に四肢欠損心奇形の発現率が高く、1962年9月に販売停止された。