誰からも愛され、親しまれてきた男女3人組ユニットいきものがかり。今年3月にメジャーデビュー10周年を迎えこのほど、3人が生まれ育った神奈川県厚木市、海老名市で、地元凱旋(がいせん)ライブも成功させた。数多くのヒット曲を世に送り出し、幅広い年代から愛される売れっ子の経歴には、1歩1歩着実に積み重ねてきた「じわじわ感」があった。

 06年3月にシングル「SAKURA」でメジャーデビューしてから10周年。3月には10周年記念ベストアルバムを発売し、先月27、28日には神奈川・海老名、今月10、11日には厚木で、野外スタジアム公演も開催した。

 水野良樹(33) 僕らは割と、ミーハーに、周年を盛り上げるタイプなんです。イベントとかでもファンの方から声をかけてもらって、10周年を喜ぶことができました。

 結成は99年。学生時代は、地元の厚木や海老名の駅前での路上ライブや、200~300人規模のライブハウスが主戦場だった。

 吉岡聖恵(32) メジャーデビューと聞いた時、それって何なんだろう? と思っていたんですけど、テレビに出させてもらうようになって、デビューしてすぐ海老名でのフリーライブに5000人が集まってくれた。それだけ多くの人が曲を広めてくれて、そういう場所に出て行けるようになったと聞きました。

 決して急な上り坂ではなかった。だが、着実にステップアップしていった。

 水野 デビュー当時は、いざ福岡に行ったらライブハウスでチケットが10枚しか売れなかった時もありました。それが、数年後には北海道でライブが満員になったりとか、コンサートの追加公演が決まったとか、ちっちゃい達成感の積み重ねでしたね。

 山下穂尊(34) 最初は300人集めるのが確かに大変だったけど、ずっと1つずつ目標を乗り越えていった。何か1個のきっかけでどうにかなったグループではなくて、なんとか1つ1つフェードインしていって。CDのランキングがいきなり上がったわけでもないし。その繰り返しだった。

 水野 シングルでオリコンランキング1位とったことないですからね。

 最初はライブハウス中心だったツアーの規模も、そこから1000人規模のホール、大ホール、アリーナと、少しずつ大きくなっていった。

 吉岡 スタッフさんも、飛び級せずに、ステップを踏ませてくれたんだと思います。一気に知ってもらったっていう温度感よりも、本当に「じわじわ」って。いろんな世代に知ってもらった印象です。

 09年発売の「じょいふる」は「ポッキー」のCMソング、「YELL」はNHK全国学校音楽コンクール中学校の部の課題曲になり、若い世代に広まった。10年の「ありがとう」はNHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌で、中高年の認知度もアップした。

 水野 特に「ありがとう」では「じわじわ」を肌で感じました。全都道府県ツアーの最初の方の公演で「新曲です」って披露したんですけど、まだあまり認知がなかった。でもそこから半年間ドラマの放送があって。

 吉岡 ツアーの最後のほうの公演では「待ってました」って感じになって。おじさまやおばさまたちが、「今日はゲゲゲやらないの?」って隣の人に聞いていたらしいですよ(笑い)。

 3人の「らしさ」が、「じわじわ」を生んでいた。

 山下 1発で「ドン!」って感じを狙えなかったんです。でも、なんとか中速のボールを投げ続けることは可能かなと。スタッフさんたちもリリースの期間とか現実的に考えてくれて。どうにかほふく前進って感じだった。いろんな曲に力を分散していった部分もあります。

 吉岡 いろんな曲調があるというのは、自分たちが楽しみながらやっていたことでもありました。出す曲によって個性が違うので、いろんなお話やタイアップをいただいている中で、いろんな球種が身についていった。

 水野 僕たちのことを思い出してもらう時って、「ゲゲゲの曲の人」って言う人もいれば、「ポッキーのCMの人」「合唱曲の人」「オリンピックの曲の人」っていう人もいる。1曲だけでグループの色が固定されず、曲ごとにいろんなイメージを持ってもらっているのは、幸運なことだと思います。シングルの全曲にタイアップがあるのはスタッフの方々が頑張ってくれたからだし、チーム一丸でやってきたからだと思います。

 さまざまな種類の楽曲を制作する際には、レコード会社の会議室でメンバーが曲を持ち寄る「曲出し会」が行われる。ここで選ばれた曲だけが、レコーディングされ、いきものがかりの楽曲になる権利を得られるという。プロデューサーら数人が参加し、メンバーは何曲持っていくかも自由。自分の歌声を入れた仮バージョンの音源を持参する。

 吉岡 30分くらいで終わるんですけど、全員が曲を出し終わるまで、誰も何も言葉を発しないという暗黙のルールがあって。みんな静かに聴いていて、緊張感ありますよ。

 今後も、多くの名曲がガチンコの「曲出し会」から生まれることになりそうだ。NHK紅白歌合戦で大トリを務めるような一流アーティストにもなったが、11年目以降も謙虚に、じわじわと活動していくつもりだという。

 水野 僕らの世代としては、20年、30年やっている先輩方が、悔しいくらいたくさんいるんですよ。その背中を見られるのは、すごく幸運だと思う。神奈川出身の方だけでもサザンオールスターズさん、小田和正さん、ゆずさん、TUBEさん…。あげていくとキリがない。デビューの時から「続けるってことが目標です」って言い続けているので、それが全てかもしれないですね。ただ、自分たちだけが喜ぶ曲を作っても仕方ないので、聴いてくださる方々が喜ぶ曲を作っていきたい。どのタイミングで聴いても、なるべくその時の感情に寄り添えるような曲を作りたいという願いは持っています。たとえば「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」のような、レジェンドの曲。東日本大震災の時もすごく流れていたから。

 吉岡 これまでとにかく1曲1曲作ってきたってことをひたすらやってきましたから。それを続けての今ですし。それを続けることがいきものがかりなので。1曲1曲集中して、歌っていきたいです。

 ◆いきものがかり 水野と山下が小学生時代に「生き物係」だったことが名前の由来。99年結成。神奈川県内で路上ライブ活動を続け、03年にインディーズデビュー。08年の初出場以降、NHK紅白歌合戦に8年連続出場中。12年には紅組トリを務め、NHKのロンドン五輪テーマソング「風が吹いている」を歌った。

 ※年齢など表記は当時のものです