新藤風監督(40)の新作映画「島々清しゃ」(しまじまかいしゃ)が公開された。新藤兼人監督と約6年同居を続け、12年5月に100歳で亡くなるまで現役監督だった祖父を支えた。監督に復帰した風監督が、祖父への思い、今後の人生を語った。【取材・構成=村上幸将】

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 -監督として11年ぶりに映画の撮影現場に立った

 また監督がしたいとは、ずっと思っていました。29歳から祖父と一緒に暮らして(亡くなって)納骨したら36歳。6年近く、2人でいた間はとても楽しく、幸せ、宝…かけがえのない時間だと今は思っているんですけど(その間)同じ年頃の仲間たちが、自分の仕事を積み重ねたり、結婚して子どもを生んで子育てしたり、大人になり始めた。祖父が亡くなった時に、自分には何もない、そもそも経験の積み重ね、自信みたいなものがないと思ったんですよ。次にもう1回(監督)って思った時に、すごく大きな自信のなさにつながったというか…。

 兼人監督から脚本も渡され、監督への道筋はあった

 おじいちゃんが「結婚しなくていい。子どもなんか生まなくたっていい。いい映画監督になりなさい」って念仏のように言っていたのは、自分が孫の人生を奪っていると思う自意識が、どこかにあったからなんでしょうけど。「私は全部、手に入れてやる。いい映画監督になるには、いい人生を生きていないとダメだと思う」と生意気にも反発していたんですけど…。おじいちゃんが死んだら、あれしよう、これしようと思って楽しみにしていた部分もあったんだけど、亡くなったら喪失感があまりに大きくて、むしろ苦しくて…。

 ◆祖父を亡くし埋めがたい喪失感

 -兼人監督の生前、監督補佐としての冷静な顔と、孫の顔を垣間見せた

 1番初め、一緒に暮らすことになったのは流れでしたけど、最終的には自分で選んだことだったので、最後まで…とは思ってはいました。何度も祖父が同じことを言った時は、孫としてというよりも「せっかく、格好いい年寄りとして取材にきてくれる人の前で、年寄りなところを見せるんじゃないわよ!!」という部分で「くどい説明はしないで」などとツッコミは入れていましたね。ただ、亡くなった当時は、もうちょっとああしていたら…というのがあり「自分が殺したんじゃないか」みたいな気持ちもありました。何でもない時に、おじいちゃんの声が聞こえて…反応してから、いないんだと感じた時に、何回も何回も亡くなった瞬間に立ち返らないと、いないことを認識できない。亡くなってから1年くらいは特に、それが何回も続いていたので、苦しくて…。

 -乗り越えられたのか?

 おじいちゃんのことばかりじゃなく、自分のために生きなきゃいけない、そのために1回、忘れる努力をしようと思ったんです。一緒に暮らしている間に、何が食べたいとか、いろいろな欲望を1つ1つ、潰していかないといけない部分があった。自分の中の欲望、欲求不満からの情熱がすごく多かったんですけど(祖父と暮らして以降)欲望がなくても生きていけるみたいな感じになってしまって。映画を撮る時のスタイルが変わっているんだろうし、生まれてくるものも違っているだろうし。気が付いたら年を取っていたことに、なかなか自分の中で擦り合わせが出来なかった。

 -そんな時に「島々清しゃ」と出会った

 もう1回、映画を撮るということで自信を取り戻したいなぁと思いつつも、どうしていいか分からない。そんな時に(後に「島々清しゃ」の音楽監督も務めることになった)磯田健一郎さんから「この本、読んで」って言われて脚本を読ませていただいた。おじいちゃんが死んで、ちょうど2年後くらいでした。最初は脚本から逃げていたんですよ。「いつまでも逃げてたら、何も望みはかなわない」というメッセージに、背中を押してもらった。15年の9月末から10月に撮影しているんですけど(ロケ現場が)沖縄なので準備も時間もかかりましたし、いろいろな人と、ゆっくりゆっくりとエンジンをかけていけた。島の空気と島の人々と一緒に作った感じがしていて…島の力に助けられた。いろいろな人が、リスタートの場になった映画なんです。映画は16年の今ごろ(1月)に完成しました。まだ、どこか逃げたい自分はいますけど、磯田さんが言ってくれたように、まずは人生のバッターボックスに立つだけは立ったかなという気持ち。

 -今後は何をしたい?

 いい年をして、なんですけど、この映画で成人式を迎えたと思って、また1から人生をやってみたい。縁があれば、どなたか…とか(笑い)今までは、どこかに逃げで出産年齢じゃなくなるまでは恋愛するまい、みたいなところがあったので、人とちゃんと向き合って、縁があれば誰かと、ともにいられたらいいなぁと。結婚ではなく、どんな形でもいい…誰かとちゃんと向き合える人になりたい。逃げずに1つ1つ、自分のペースでやっていきたい。

 -兼人監督は映画を見て何と言ってくれるだろう

 「まぁ、頑張ったじゃないか」って…言ってくれるかなぁ? 言わないかなぁ? 生きるって、しんどいかも知れないけれど、心持ち1つで、ちょっと生きるっていいなぁって思う時があるんで…そんな感じの映画になっていればいいなぁって思っています。

 -あらためて、祖父は

 本当に、よく生きた人。生きることと映画が一緒になっていたけど、どちらにも、とても情熱的で、力強くて、真っすぐ一生懸命生きて映画を撮った人。がむしゃらな人に、やっぱり人は引きつけられるじゃないですか。なかなか、そうは生きられないかも知れないけれど、しっかり生きて、最後に死ぬところまで、しっかり見せていってくれたので…本当に、かけがえのない人だと思いますね。

 -最後に、映画ファンにメッセージを

 今回、安藤サクラちゃんも言っていたんですけど、サクラちゃんの作品の中でも、こんなに誰にでも見てって言える映画はないって。私も、友だちの子どもにまで、友達連れで見に来てね、と言える映画は初めて…多分、最初で最後かもしれないので。老若男女に見ていただける作品って、なかなか撮れないので、ぜひ、たくさんの方に見ていただきたいなと思います。

 ◆新藤風(しんどう・かぜ)1976年(昭51)11月20日、神奈川県生まれ。00年にフジテレビ「つんくタウン」のオーディションに合格し、「LOVE/JUICE」で監督デビュー。05年「転がれ!たま子」で監督を務めて以後は、祖父兼人監督とともに暮らし、遺作となった11年「一枚のハガキ」の監督補佐として、12年5月29日に100歳で亡くなるまで支えた。