朝8時に病み上がりの同僚を乗せてレンタカーで東京を出発。オヤジ2人で観光地を見物したり、ご飯を食べながら150キロドライブ。真面目に取材を済ませて、東京へとんぼ返り。

 往復300キロ近いドライブの運転は、交代なしのナンバーワンドライバー待遇だ。定年間近のアラ還の身にはきつい。運転中に心臓まひや脳出血の恐怖が絶えない。

 レンタカーを返却して、休む間もなく新宿でNON STYLEのライブ。当て逃げ事件で謹慎していた井上裕介(37)の復活ライブだ。なんだかんだで、井上の事務所関係者と別れた時は“日付変更線”を超えていた。

 翌日も、夜は原宿でピースのライブ。綾部祐二(39)の日本でのラストライブだ。そんなこんなで、ヘロヘロなのだが同情の声はない。

 「お笑いライブ見て、給料もらえるんだからいいね」

 それはスポーツ取材であろうが、事件取材であろうが同じことなのだが、芸能、とくにお笑いに対しては世間の目は厳しい。

 だが、そんな厳しさも楽勝に乗り越えられる出来事がある。“心の師”である放送作家高田文夫氏(68)のインタビューだ。

 13年の暮れから、毎週土曜日の宅配版インタビュー「あの人に聞きたい」を担当していたのだが、先月25日付で最終回を迎えた。その最終回に、高田センセーにご登場願った。

 思えば、当時は毎週土曜の連載、それが月に2回となり、最後は月に1回だった。

 「センセー、僕が3年以上の年月をかけて、小さくしてきた連載です。ぜひ、最後をお願いします。一発目は世界のホームラン王・王貞治さんがトップバッターで登場したんだから、大トリはセンセーしかおりません」

 あつかましいお願いにも「最後? 終わる連載か、縁起が悪いな」と笑いながら快く引き受けてもらった。

 センセーへのインタビューは久しぶりだが、25年くらい前に連載の聞き書きを担当させていただいた。有楽町の旧ニッポン放送の地下にあった「ニュートーキョー」で、「ビバリーヒルズ」終わりのセンセーに2週間に1度、楽屋話を聞いて記事にする。松村邦洋、松本明子、大川興業、浅草キッド、片岡鶴太郎、横沢彪、ビートたけし、立川談志、中村勘三郎といった人々の裏話が山盛りだった。

 だが、たまにネタが枯れて来ることがある。そうすると、センセーは若手の噺家に「ニュートーキョー」へ招集を掛ける。若き日の林家たい平、春風亭昇太、桂竹丸、春風亭勢朝らに「おい、お前ら、日刊スポーツは1万円超えると、稟議(りんぎ)書っていうのがいるんだから、気を使え。チャーハンくらいにしとけよ」と言って飯を食わせながら、彼らから話を聞き出してくれた。これから売り出す噺家たちを日刊スポーツに載せてやろうという親心だ。

 そして最後に「いいか、今の話を面白おかしく、俺の口調でだな」と言ってくれた。同時期に連載していた岡本夏生(51)には一字一句、細かくなおされたが、センセーは気にしない(笑い)。

 当時、センセーはニッポン放送「ビートたけしのオールナイトニッポン」とフジテレビ系「北野ファンクラブ」をビートたけしとやっていた。センセーと2人で話しながら、その話術に酔っていると、まるでビートたけしになったようだった。

 社内を人事異動でグルグル回って芸能に戻ってくると「久しぶりだな。この頃、書いてるね。読んでるよ」とありがたい言葉をかけてくれる。

 今回も、乗せ上手のセンセーの話術に乗って、楽しくしゃべらせていただいた。

 「こいつね、取材に来て、取材相手よりたくさんしゃべっちゃうんだよ。しょうがねえな、こんなヤツいないよ」と笑ってくれる。

 「僕はセンセーのゴーストライターでした」

 「世界中で高田センセーとマンツーマンでしゃべれるのは、たけしさんと僕だけでした」

 こんな戯れ言にも笑ってくれる。お笑い芸人が育つはずだ。

 5年前に心臓を悪くして「心肺停止8時間」と自慢? する。先月24日に東京・八重洲ブックセンターで行った松村邦洋(49)との“心肺停止コンビ”のトークショーは絶品。心臓にペースメーカーが入っているが、ギャグの切れ味、突っ込みも絶品。疲れがいっぺんにぶっ飛んだ。これからも体を大事にして、お笑い界を見守り、そして記者の個人的なパワースポットであり続けて欲しいと、切に願っている。