故鳳啓助さんとの夫婦漫才の元祖で、TBS系ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」でも親しまれた女優京唄子(きょう・うたこ)さん(本名・鵜島ウタ子=うじま・うたこ)が6日午前10時33分、肺炎のため、大阪市内の病院で亡くなった。89歳だった。10年の「渡る-」出演を最後に、表舞台からは退いていた。7日夜、大阪市内の斎場で、近親者のみが集まり、通夜が行われた。喪主は長女節子(せつこ)さん。

 昭和の演芸史を代表する女漫才師で、晩年は「渡る-」の「本間のお母さん」として、圧倒的な存在感を誇った。50年来のマネジャー井川タカ子さん(69)によると、近年は、大阪市内の自宅で、長女節子さんと10歳下の4人目の夫が交代で介護。唄子さん本人は「最後はそっとしておいてほしい、静かに逝きたい」と望んでいたという。

 亡くなった6日夜は、夫が唄子さんの隣に添い寝し、7日夜は近親者のみで通夜。ひつぎに愛用の帽子やバッグ、「渡る-」や舞台の台本などが納められた。

 唄子さんは、09年5月に大阪松竹座公演を降板。腰椎圧迫骨折と腰椎変性すべり症の治療に専念した。その後、10年10月放送の「渡る-」で復帰したが、舞台復帰はかなわなかった。

 井川さんによると、昨年4月までは会話ができていたが、同秋ごろから食事が細くなるなどし、入院。亡くなる前日夜から体調を崩し、急変したという。

 唄子さんを古くから知る芸人仲間は「療養に入って、思った以上に回復が進まず、精神的なショックも重なり、体力が低下したようだ」と明かす。唄子さんは近所に外出する際にも身支度を整えるタイプで、療養に入ってからかなりやせたため「人様の前には出られない」とし、近年は表舞台から遠のいていた。

 唄子さんは京都生まれ。45年に、京町唄子として女優デビュー。結婚、離婚を経て、56年に鳳啓助さんと、漫才コンビ「唄子・啓助」として始動。後に啓助さんと結婚し、夫婦漫才の元祖でもあった。啓助さんと離婚後もコンビを続け、フジテレビ系「おもろい夫婦」は高視聴率をマークし、15年以上も続いた。

 「エロガッパ」の啓助さんが、「大口女」の唄子さんの尻に敷かれる女性上位のしゃべくり漫才。剣戟(けんげき)も取り入れた芸風は、普及したテレビの申し子スタイルでもあった。

 実際には芸風とは一転、ネタ、演出は啓助さんが主導。唄子さんは啓助さんに従った。夫唱婦随の形は、現在に受け継がれ、夫婦コンビ第一人者、宮川大助・花子が踏襲している。

 宮川花子(61)は「会うたびに『夫婦は別れたらあかん。私らみたいになったらあかん。仲良うやりや』と言ってくれた」と振り返る。正司敏江・玲児ら、往年の夫婦コンビは離婚が多く、当時は「夫婦は別れた方がいい」とも言われていた。それだけに驚いたといい「やっぱり、寂しいでと言っていた」と話した。

 唄子さんは、70年に「唄啓劇団」を立ち上げ、所属事務所の倒産などのトラブルを乗り越え、87年に京唄子劇団を設立。97年には国際芸術文化賞を受賞。08年に「上方演芸の殿堂入り」表彰を受け、94年に亡くなった啓助さんをしのび「啓助さんも喜んではると思います」とコメントした。

 女優としては、TBS系「渡る世間は鬼ばかり」でも知られ、植草克秀演じる長男英作を溺愛する「本間常子」を演じた。