芸能活動を休止中の桜田淳子(58)が3年4カ月ぶりに一夜限りのステージに立った。会場からは声援が飛び、本人も「胸がいっぱい」と喜びをあらわにした。

 一方で、活動休止の原因となっている彼女の信仰があるから、ことは単純ではない。言うまでもなく信教の自由はあるし、声高に表明しないまでも、信仰を貫きながら芸能活動を続けている人を何人も知っている。問題は桜田の宗派が霊感商法で社会問題化していたことにある。

 全国霊感商法対策弁護士会が待ったを掛けたのも当然のことだろう。桜田の芸能活動が反社会的組織活動を増長させることになるという主張だ。

 コンサート出演の一報を書くときにためらいが無かったといったらウソになる。一方で、出演の条件として本人に宗派との無関係を宣言させることも「良いと思って信心している」以上酷なことだろう。

 今回の出演が宗派とは無関係に決まったこと、4、5曲、15分程度でコンサートの一部に止まっていること、これ1回きりのステージであることなど限定的条件のもとでの出演であることから、記事化を決めたいきさつもある。何も報じないこともひとつの選択だが、微妙なバランスを認識しながらも報じる方を選ぶべきだと思っている。

 そもそも「信仰」とは縁遠いから、こういう問題には慎重に、と心しているつもりだ。中東や東南アジアを訪れて、空港の「Prayer Room(祈りの部屋)」の表示にはハッとさせられる。イスラム教徒が祈りをささげる場所だ。インドやバリ島では行く先々に当たり前のようにヒンズー教のお供えがある。こういうときに改めて生きている宗教を実感する。

 欧米ではたまに宗教を聞かれるが、無宗教というと説明が面倒なので「Buddhist」と答えるようにしている。墓が寺にあるのでうそではない。が、実態は神社にお宮参りし、キリスト教で結婚式を挙げ、葬式は仏教という派である。これが多数派という気はないが、日本では宗教に同じような感覚を持つ人は少なくないだろう。

 映画担当としての日常でも、キリスト教に軸足を置いた欧米映画を見るときはそれなりに心して掛からないといけない。そうしないと登場人物の心情が見えてこない場合がある。

 今年は清水富美加(22)の出家騒動もあった。不信心者が宗教について考える機会が増えている。