かつて、落語界にはいくつかのタブーがあった。女性を弟子にとらない、高座の時はめがねを外す、そして着物は黒紋付きなどという、暗黙のルールだった。それを破ったのが、円歌さんだったし、昨年亡くなった橘家円蔵さんだった。

 めがねについては、円歌さん、円蔵さんがほぼ同時期にめがねをかけたまま高座に上がった。極度の近視で、めがねなしでは客席もよく見えないためだったが、円蔵さんは黒ぶちのめがねがトレードマークにもなった。

 色紋付きも、円歌さんが「お葬式じゃねぇんだから、黒紋付きで出ることはねぇ」と言って始めたもので、今ではカラフルな着物が寄席を華やかにしている。

 そして、女性の弟子も、円歌さんのもとに80年にあす歌(現小円歌)、81年に三遊亭歌る多が入門した。小円歌は三味線漫談で活躍し、歌る多は93年に落語協会初の女真打ちに昇進し、その後、通常の真打ちの扱いに変更された。

 入門当時は、「なぜ女性を入門させるのか」と風当たりも強かったが、円歌さんは「もうそういう時代じゃない」と批判を抑え込み、その後の女性落語家隆盛の土壌を作った。