香港映画界のレジェンド俳優サモ・ハン(65)が、新作映画「おじいちゃんはデブゴン」が27日、日本で公開されるにあたり、日刊スポーツの単独インタビューに応じた。2000年代後半から健康不安説も飛び交ったが「年は取ったけど元気だよ」と言うサモ・ハンが11年ぶりに来日し、新作と近況を語った。

 サモ・ハンは、代表作「燃えよデブゴン」(78年)が日本で公開されると“デブゴン”の名前で一躍、人気となった。腕と脇腹の肉で腕を折ったり、ジャンプして相手を押しつぶす、巨体を駆使した独特のカンフーアクションに加え、巨体に似合わぬスピーディーな動きが特徴で、出演作がテレビでも放送されるなどして、80年代から90年代にかけて、日本でも出演作が次々と紹介された。ジャッキー・チェンと共演した「プロジェクトA」(83年)ではアクション監督、「五福星」(84年)、「スパルタンX」(84年)では監督も兼任した。

 「おじいちゃんはデブゴン」は、97年「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ&アメリカ 天地風雲」以来20年ぶりの監督作、監督兼主演としては金城武も出演した95年の「死角都市香港」以来、22年ぶりの作品となった。劇中では認知症気味の元退役軍人を演じた。中国マフィアとロシアマフィアの抗争に巻き込まれた隣家の父娘を救うため、長年鍛え抜いた必殺拳の封印を解き、悪を打倒する役どころで、アクションのキレは往年のまま。ロシアのウラジオストクでも撮影を行った。

 -製作のきっかけは

 サモ・ハン 製作会社の社長が来て、「ちょっと読んでみて」と持ってきた脚本が、非常にすばらしかったんです。元々、監督をやってほしいという気持ちがあったんだと思います。私が20年も監督をやっていないから言いづらかったようで、遠回しに「脚本はどうだった?」と聞いてくるので「悪くないじゃん」と言って引き受けたのです。主演については、他の監督が演出する場合、どうするかは分からないけれど、自分が客観的にこの脚本を見て監督、演出するとなった時、年齢、特殊工作員という役どころのアクションがちゃんと出来る、芝居がうまい…絶対に主役はサモ・ハンを選びますよ(笑い)

 -30年以上前に見せた往年のアクションに引けを取らない動きが出来ている

 サモ・ハン 今回のために、特別トレーニングを積んだということはないんです。おそらく、子どもの頃にやった武術の練習の練習とか、下地がしっかりしているから、この年になっても動けるのだと思う。もう1つは、アクション監督をやっているので、こういうアクションはどうか、こう動かしたら、こう相手をたたくのは…と常にアクションのことを考えていることが影響していると思う。

 -脇とおなかの肉で腕折りしたり、跳び上がって敵をつぶしたり…

 サモ・ハン 昔と同じようなアクションもありましたね(笑い)

 -一時期、あなたが体調不良になったというニュースが世界を駆けめぐった。最近、どのような生活を送っているのか

 サモ・ハン 普段は、散歩に行ったり、家の中で座ってテレビを見ていたり、おかずを買いに行って料理をしたり…。食事は妻が作るけれど、ごく普通に生活していますよ。

 -映画の中で演じた主人公そのものの日常

 サモ・ハン そう、主人公に近いね。映画を見たりもしていますよ。仕事がない時は、のんびり、ゆっくりしていますよ。

 -年齢を重ねた今の自分を、どう思う

 サモ・ハン 年は取りましたよ。でも、もう倍くらい年を取ってもいいなと。ただし、条件は必ず健康であること。健康であれば、仕事が出来る。誰もが、この年齢になってまで、やらせてもらえるものではない。天から自分が授かった能力だと思っているから…せっかく授かったんだったら、長生きして、もっと、もっと仕事がしたいです。

 -体形は変わらないが、健康の秘訣(ひけつ)は

 サモ・ハン いろいろなことがあると思います。まず1つは、食べものですよ(笑い)妻には、いつも「食べものに気を付けなさい」と言われるんですけど…自分でも気を付けていますよ。好きなものしか食べないように…ね(笑い)

 -ダイエットはしない?

 サモ・ハン どうやってダイエットするか、教えてほしいよ(苦笑い)

 次回はサモ・ハンが香港映画界の現状、ジャッキー・チェンら盟友との今後について語る。【村上幸将】

 ◆サモ・ハン 1952年1月7日、香港生まれ。10歳で中国戯劇研究学院に入学し、京劇をはじめ、さまざまな芸を学ぶ。13歳で出演した『愛的教育』(61年)で映画デビューし子役やスタントとして活躍。71年にゴールデン・ハーベストに入社し、武術指導兼スタントマンとして武術指導を手掛け、脇役で出演。ブルース・リーの主演映画「燃えよドラゴン」(73年)のオープニングでリーと戦う、巨体ながら俊敏な少林寺僧役で、世界に知られる存在となった。