かつて格闘技を取材していた記者にとって、やり切れない知らせが届いた。プロレスラー高山善広さん(50)が、5月に試合で痛めた頸椎を完全損傷し、現状で回復の見込みがないことが、DDTプロレスが開いた会見で明らかになった。意識ははっきりしており、呼吸もできているが、首から下の感覚がないのだという。あまりにショックだ。

 格闘技取材歴は3年ほどだったが、高山さんとは忘れられない思い出がある。09年6月、後楽園ホールでの大会でのことだった。プロレス界には当時、激震が走っていた。ノアの三沢光晴さんが、試合中の事故で頸椎を離断し、亡くなったのだ。プロレス界が誇るカリスマの、あまりに急すぎる死。それからしばらくは、レスラー仲間の反応を取ることが、記者としての大事な任務になっていた。

 その日は、三沢さんの死後、高山さんが東京で行う最初の試合だった。駆けつけた全メディアの目的は同じだったが、誰も「その件」について聞こうとしない。尻込みしていたのは明らかだった。仕方ない。意を決して、高山さんに質問した。「三沢さんが亡くなりましたが…」。

 返ってきた答えは…いや、それは「言葉」だけではなかった。「うるせえな!」。吐き捨てた言葉とともに、強烈な右エルボーが記者の首を直撃した。196センチの巨体から、怒りとともに繰り出される攻撃に、普通の男が耐えられるわけがない。手に持っていたICレコーダーとともに、思いきり吹っ飛ばされた。

 最悪なことを、最悪なタイミングで聞いた。命をかけて日々、リングに立っている選手たちにとっては、最もナーバスな問題。しかも、試合後で興奮状態にあるわけだから、怒るのも当たり前だ。選手の気持ちを取るか、読者の「知る権利」を取るか、二択に迫られた結果、記者は後者を取った-と言えば聞こえがいいかもしれないが、取材対象の気持ちに配慮できなかった、ただの人でなしと言われても仕方ないだろう。

 記者として、最良の選択は何だったのか? その前に、1人の人間として取るべき行動は何だったのか? どんな取材現場に行っても、どれだけキャリアを積んでも、この日の高山さんとのやりとりは、トラウマのようによみがえる。結局、高山さんの気持ちを踏みにじった上に、読者にも情報を届けられなかったわけだから、記者の選択は間違いだったのだろう。

 後日、高山さんには丁重におわびした。「配慮のないことを聞いて、すみませんでした」。試合前、リングサイドでストレッチをしながら、高山さんは声を荒らげることなく、「仕方ねえやつだな。次は気をつけろよ」と静かな口調で許してくれた。それが何よりの救いだった。

 格闘技担当を離れ、今は芸能担当としてまったく違う畑で働いている。どんな運命の巡り合わせか、8月にはAKB48のプロレスイベントで、6年ぶりに後楽園ホールを訪れた。こぢんまりとした空間に響く、熱い声援を久々に聞き、高山さんのことを思い出していた。そんな矢先のニュースだった。

 高山さんは04年、脳梗塞に倒れながら、2年後にリングに戻ってきた。まるで不死鳥のようだった。人間山脈のように大きくて、鉄の塊のように強くて、どんな敵も、病魔にも負けなかった高山さんだ。今度だって、起き上がれるようになって、立ち上がれるようになって、いつかリングに戻ってきてくれるに違いない。あの日、あのエルボーを受けたからこそ、そう信じられる。高山さんの病状が少しでも快方に向かうことを、全身全霊で祈りたい。記者ではなく、人として。