プロ野球ヤクルトや阪神で監督を務めた野村克也氏(82)の妻でタレントの野村沙知代(のむら・さちよ)さんが8日午後4時9分、都内の病院で死去した。85歳だった。福島県出身。この日午後、都内の自宅で意識を失い病院に緊急搬送され、そのまま帰らぬ人となった。歯に衣(きぬ)着せぬ「毒舌」で知られ、「サッチー」の愛称で芸能マスコミを何度もにぎわせた傑人だった。

 タレント、女優、歌手として芸能界でマルチに活躍し、脱税事件などで社会をにぎわせた「サッチー」が、波瀾(はらん)万丈の人生に幕を閉じた。

 関係者によると、この日午後2時ごろ、都内の自宅で意識を失い、病院に緊急搬送された。懸命の治療のかいなく、そのまま病院で亡くなった。午後7時すぎには、憔悴(しょうすい)した野村氏が自宅に戻った。無言で1度自宅に入るも、すぐに、報道陣の前に姿を見せた。夜には再度、対応した。最愛の妻を亡くしたことを、報告せねばと思ったのだろう。「(死因は)分からない。突然死のようなもの。ずっと一緒だったのに。すべて奥さんがリードしてくれた」。絞りだすような言葉の1つ1つが悲しみを表していた。

 ボウリング用具の代理店を経営していた沙知代さんが、野村氏と知り合ったのは1970年(昭45)。同居の末に結婚したのは8年後だった。ヤクルト野村克則2軍バッテリーコーチ(44)をもうけ、沙知代さんが米国人の前夫との間にもうけた2人の息子も野村氏の継子になった。

 85年に、野村氏を描いたエッセー「きのう雨降り今日は曇りあした晴れるか」が第4回潮賞ノンフィクション部門特別賞を受賞。89年には少年野球チーム「港東ムース」のオーナーに就任し、全国大会を2度制覇した。90年に野村氏がヤクルトの監督に就任すると、沙知代さんがメディアに露出する機会が急増。その毒舌ぶりがマスコミで大きな話題になり、“サッチーブーム”を巻き起こした。

 96年にはフジテレビ系「笑っていいとも!」にレギュラー出演。共演した元SMAP中居正広(45)に「チョロチョロうるさい」、野村氏を「あの人は古だぬき」などと、言いたい放題のサッチー節をさく裂させた。同年に新進党(当時)から衆院選に出馬するも落選。この際、選挙公報などに虚偽の経歴を公表したとして女優浅香光代(89)らが99年に東京地検に告発(不起訴)したのが「ミッチー・サッチー騒動」の発端だった。批判派と擁護派に分かれ、多くの芸能人が舌戦に参加して騒動が拡大。女優業のほか、CDもリリース。00年にはセミヌード写真集も発売した。

 芸能界の外でも世間を騒がせた。01年には約5億6790万円の所得を隠したとして、法人税法違反(脱税)などの疑いで、東京地検に逮捕され、翌年に有罪判決を受けている。

 

 ◆野村沙知代(のむら・さちよ)1932年(昭7)3月26日、東京生まれ。57年に米軍人と結婚し、2男をもうけるも離婚。73年に現ヤクルトコーチの克則氏が生まれた。78年に野村克也氏と正式に結婚。96年に衆院選に出馬するも落選。99年には浅香光代との批判合戦が「ミッチー・サッチー騒動」として世間をにぎわせた。00年にセミヌード写真集を発売。02年は脱税事件での逮捕を機に芸能活動休止宣言するも、翌年に復帰。渡部絵美、デヴィ夫人ら著名人を相手取った訴訟も多く、10年には暴力団との関係を報じた「週刊新潮」に対し訴えを起こすなど、復帰後も世間を騒がせた。