あの9頭身美女は、家出同然で浜松市から上京していた。田中道子(28)。2016年にテレビ朝日系「ドクターX」でデビューし、最近はNHK大河「西郷どん」に出演した注目女優だ。建築士として地元で生きるはずが、23歳で芸能事務所入り。猛反対した父との関係、深い静岡愛、将来を日刊スポーツに語った。

 

 インタビュー開始前。J1磐田の勝利を伝える日刊スポーツ静岡特集の紙面と久保ひとみの連載コラムを見せるや、前のめりになって言った。

 「私、ずっとジュビロを応援しています! 静岡ダービーにも行っていましたし、試合は途中経過からチェックしています。久保さんは憧れの人。大学時代は『久保さんみたいになりたい』と思って、テレビ静岡の番組に出させていただいていました」

 浜松市に生まれ、両親、6歳上の兄、5歳上の姉の愛情に包まれながら、幸せに暮らしていた。

 「末っ子でかわいがられていました。中学まではテニス部で活発。公園で走り回っていました。ただ、進学した浜松市立は強豪で、私は体験入部で挫折。吹奏楽部に入りました。そこからはインドア派になり、休日には父と一緒に図書館に行っていました」

 静岡文化芸術大に進学。都市デザインを学び、卒業後に2級建築士の資格を取得した。

 「在学中、ミスコンには出ていましたが、事務所には入っていませんでした。単身で東京に出るのも怖かったですし、このまま地元で生きていくんだと思っていました」

 静岡県内で建築士として働くことを第1志望にしつつ、都内にある建設会社の就職説明会に参加。その後、ミス・ユニバース・ジャパンで知り合った現在の所属事務所社員にあいさつに行き、進路が急転した。

 「廊下ですれ違った社長と面接することになりまして、『女優になる気があるなら、来週から上京してレッスンを受けなさい。今、23歳なら悩んでいる暇はないよ』と。私からすれば、『無理』と諦めていた世界なので、二つ返事で『はい。来週、必ず静岡から出てきます』と言いました」

 だが、家族からは猛反対され、父親は激怒した。

 「説明会に行ったはずが、『事務所に入ることになった』ですから、怒られるのは当然でした。教師で真面目な父は『認めない。芸能界に入ると地獄に落とされるぞ』と。それでも、私は必死でした。道子は、父が『自分の道を歩ける子』という意味でつけた名前。『これからもそうありたい』と返し、連日、朝まで言い合いを続けました」

 ついに、タイムリミット。仕事に出掛ける父を見送った後、スーツケース1つで家を出た。

 「涙する母を振り切り、東京行きの高速バスに乗りました。心の中で『ごめんなさい』と言いながら、私も泣きました」

 貯金もなく、見つけたのは、敷金、礼金ゼロの家具付きシェアハウス。タイ人女性との生活が始まった。

 「線路沿いで、始発電車で目が覚めました。事務所の方針でアルバイトは禁止。オーディションのないモデルの仕事で、何とか食いつないでいました」

 事務所からは「演技レッスンは2、3年は必要」と言われ、有名雑誌モデルなどのオーディションには、落選の連続だった。

 「家には頼れないし、父は電話にも出てくれない。先に見える光がまったくありませんでした」

 だが、上京6カ月後にミスワールド日本代表に選出され、状況が一変した。

 「母に報告の電話をしたら、『知ってるよ。お父さんが調べていて教えてくれたから』と…。父は『認めない』と言いながら、陰で一番応援してくれていました。その後、私が実家に戻ると、乾杯で祝福。世界大会の時は、バリ島まで来て、『ジャパーン』と誰よりも大きな声で旗を振っていました。その姿を目にした瞬間、胸がキュッとなり、涙が出てきました」

 世界大会後、モデル業は軌道に乗ったが、演技レッスンを受け続けた。半年に1度、約50人がエントリーする事務所内審査会にも参加。そして、上京から3年後の16年にチャンスをつかんだ。「ドクターX」。大門未知子(米倉涼子)の天敵である蛭間病院長(西田敏行)の秘書役だ。

 「いきなり、西田さんのアドリブを盛大に浴びました(笑い)。自宅に戻ると、緊張が解けて泣き、第1話を見た後は、悔しくて泣きました。あんなに頑張ったのに、浮いて見えたからです。自分の女優ノートには『もっと、学ばなければ』と書きました」

 厳しい自己評価の一方で、その存在感は視聴者、テレビ関係者にインパクトを残した。17年にはフジテレビ系月9ドラマ「貴族探偵」に鑑識員役で、今年は4月まで、「西郷どん」に出演。品川宿磯田屋のタマ役を演じた。トーク力もあり、数多くのバラエティー番組に出演。日本テレビ系「踊るさんま御殿」では、「おすしでもカフェオレ」「口をリセットしたい時は、ジャムをビンごと飲みます」などと明かし、共演者を驚かせた。

 「あの時は、大きな反響をいただきました(笑い)。モデルと違って女優の仕事は、内面をさらけ出すと、ダメなところも個性と見られます。バラエティーでも、学んできた水彩画やリメークが生きてくる。これからも、いろんな場面で個性を出せたらと思います」

 今後は連続ドラマ出演が続くが、浜松市の「やらまいか大使」を務め、NHK「たっぷり静岡」、Daiichi-TV「まるごと」に出演するなど、県内での活動にも積極的だ。

 「『まるごと』では、久保さんと初めてお会いできて幸せでした。アットホームで『静岡に帰ってきた~』という感じ。できれば、週1で出たいです!」

 もっとも、軸足は女優業で、「一生、女優を続けたい」と話している。では、東京暮らしが続くのか…。

 「いえ、将来は熱海の辺りに住みたいです。そうすれば、すぐ浜松に帰れますから。23歳までいたので、友達の多くが静岡県民。とにかく静岡のおいしい空気を吸っていたいです」

 大女優の資質を感じさせながら、静岡県を思い続ける28歳。持ち前の「やらまいか精神」で、県民の誇りになる日を目指す。【柳田通斉】

 ◆田中道子(たなか・みちこ)1989年(平元)8月24日、浜松市生まれ。静岡文化芸術大卒業。09年ミス浜松グランプリ、11年ミス・ユニバース・ジャパン3位、13年ミス・ワールド日本代表。モデルでは、ファッション誌「GINGER」などで活躍し、「神戸コレクション」などショーにも多数出演。特技はピアノとテニス、英語。身長172センチ。血液型O。