インド映画「ダンガル きっと、つよくなる」(アミール・カーン主演)がロングラン中だ。

 元レスリング選手の父は、後継者の息子誕生を望むが、生まれてくるのは娘ばかり。失意の中、ひょんなことから娘たちのレスリングの才能に気付いた父はスパルタ特訓をほどこし、彼女たちを国際大会に通用する選手に育て上げる。

 周囲のひやかしや娘たちの反発など、曲折を経て最後は親子が絆を取り戻し、大団円を迎える気持ちのいいスポ根物語だ。

 「巨人の星」や浜口親子…日本人も親近感を抱きやすい題材といえる。

 だが、インドならではの描写にはいくつかの「?」が残った。<1>ベジタリアンの一家にもかかわらず、体作りのために父は娘たちに鶏肉を食べさせてしまう<2>妻は反発し、調理を拒否するがなぜかその後も夫婦は仲がいい…の2点が特に気になった。宗教上のタブーを冒しているのではないだろうか? 夫妻に決定的な亀裂が入ったはずなのに、食事以外では夫婦仲がまったく揺るがないのはなぜなのか?

 先日、別件のグルメ取材で在日40年の貿易商にして東京・西葛西の料理店「カルカッタ」の経営者、ジャグモハン・S・チャンドラニさん(64)に話を聞く機会があり、そんな疑問に答をもらった。

 「肉ということで言うと、ヒンズー教が聖なるものとしている牛はやはりだめですが、たくさんの宗教があってそれぞれに段階的な考え方があります。そもそも宗教以前に他の命を奪ってまで自分たちの命を永らえることに私たちは抵抗があります。インドの熱い気候のもとで、どうしてもという必要に駆られた場合でも、大きな動物を食べるとムダが多くなります。命をムダにするということです。だから、小さな動物からということになります。チキンであったりマトンであったり。宗教はそんな当たり前の考え方の後から筋立てたのだと思います」

 必要に駆られてのチキンか、と納得する。でも、あからさまの調理拒否や、食卓を別にしながら、夫婦仲がそのままというのは何とも不自然だ。

 「家族を大切に思う気持ちは日本と変わりませんよ。でも、根本的に生まれてくるときは人間は1人だし、死ぬときも1人です。しょせんは違う生き物ですから。だから夫婦の間でも、家族の間でも1人1人の考え方は尊重します。私たちから見れば、あの家族のあり方に何ら不自然は感じないのです」

 2番目の疑問にもそれなりに納得が行く。カレーに配合された香辛料の内訳を聞いたような感覚だ。もう1度、この作品を見て、複雑な味をかみしめてみようと思う。