アルツハイマー型認知症のため4月27日に死去していたことが分かった女優、タレント朝丘雪路さん(享年82)の夫で、俳優津川雅彦(78)が20日、東京都内で会見した。

 主な一問一答は以下の通り。

 -津川さんの体調は

 「大丈夫じゃないね。こんな格好して大丈夫だって言ったらうそになる」

 -朝丘さんが亡くなられました

 「あの、感謝してます。すべてに感謝してます」

 -どんな様子だった

 「病気の状態のことは、なるべくしゃべらないで…。ご勘弁願えますか?」

 -原因は

 「アルツハイマーですね。4、5年になるのかな。だんだん、だんだん(症状が)深くなっていく感じで」

 -津川さんのことは認識していた

 「それもね、だんだんと。なるべく、それ以上深い話は勘弁してください」

 -亡くなる当日の朝丘さんは元気だった

 「いやいや、全然」

 -津川さんだと分かってしゃべってたのはいつまでだった

 「いつごろかな。それも、俺と分かっててしゃべってたかな。『あら?』って、僕を見てね」

 -何カ月か前の話ですか

 「そうですね」

 -病名は

 「診断書はアルツハイマー認知症。それ以外ありません」

 -朝丘さんはご自身で生活したり、出歩いていた

 「だんだんね(できなくなっていった)」

 -いつごろまで

 「覚えてない」

 -最後に一緒に仕事をしたのは、14年に娘さん(真由子)がプロデュースした舞台だった

 「そうですね。喜んでいたと思いますよ」

 -思い出は

 「残念なのは、(津川の借金の)担保で自宅を売らなきゃならなくなったこと。これが1番残念な思い出ですね」

 -何と言っていた

 「彼女はお金にきれいな人で、すんなり土地を渡してくれましたね」

 --それが内助の功だった

 「そうですね」

 -そのときはどう思ったか

 「うれしかったです。感謝ですね」

 -女優、タレント、歌手、津川さんが1番好きだった朝丘さんは

 「女優でしょうね」

 -作品で言うと

 「作品までは…」

 -女性としての朝丘さんはどんな人だった

 「それは女優ですね」

 -大恋愛で結婚した

 「不倫ですからね。どんなっていうか、熱があったということです」

 -悔いはない結婚生活だった

 「悔いはいっぱいありますね」

 -たとえば

 「思い出せないくらいいっぱいあるな」

 -朝丘雪路さんという方はどんな方だった

 「どんな…言えないね」

 -朝丘さんには「もっと遊びなさいよ」と言われていた

 「僕は遊びましたからね。だから、もっと遊んでいいよということじゃないですか?」

 -朝丘さんがやきもちを焼くことは

 「ないね」

 -遊んでいた時に「奥さんが怖いな」という気持ちは

 「ないですね」

 -「もっと遊んでいいよ」と言われると、遊ばないようになる人もいるけど、津川さんは遊んだんですね

 「そうですね(笑い)」

 -妻が朝丘さんで良かったか

 「そうですね」

 -ご自宅で亡くなった

 「そうですね」

 -臨終は見届けられた

 「ええ、はい」

 -その時に声は

 「声を掛けられるような状態じゃなかった」

 -真由子さんは

 「一緒にいて、『ママ』って呼んでいた。返事はしないですけどね」

 -あらためてメッセージを送るとしたら

 「今…ない」

 -介護生活を振り返って

 「周りがよくやってくれましたよ。だから、何と言いますかね。僕が先に死んで、彼女を残すよりは、いい結果になりましたよね」

 -一時は別居していたが、再同居したのは

 「3、4年前からですね。預かってくださっている方が『アルツハイマーで面倒を見られない状況に(なった)』とおっしゃって」

 -ご自身の元で介護しようと思った理由は

 「それは、その方がいいからね。両方にとってね」

 -朝丘さんの姿を見ていて、つらい思いもあったと思うが

 「うん、つらいよね」

 -毎日、顔を見ることはできた

 「まあね」

 -だんだん津川さんのことを認識しなくなるのがつらかった

 「いや、そういう段階じゃないね」

 -冒頭に「感謝」とおっしゃいましたが、どういう意味で

 「すべてです。あらゆることを包んでですね。娘を生んだことも含めて。言ってくれたことを、僕より先に死んでくれたことも含めて。感謝だらけです」

 -朝丘さんも今の津川さんの病状を心配されていたのでは

 「それは気がついていなかったですね」

 -お顔は安らかだった

 「安らかでしたね」