田原俊彦(57)が今年、歌手デビュー40年を迎える。10代から20代前半はアイドルとして、20代後半から30代にかけては、大人の男として2度、芸能界の頂点に立った。ジャニーズ事務所独立後は人気が低迷するも、今も実力派のポップシンガーとして歌にダンスに活動を続ける。今月、58歳の誕生日を迎えても「トシちゃん」の愛称が似合う元トップアイドルが、山あり谷ありの40年を語る。

★「哀愁でいと」大ヒット

デビューは1980年。「哀愁でいと」の大ヒットが、40年の第1歩だった。

「ロックやニューミュージックが全盛だった当時の歌謡界に、80年代のスタートとともにアイドルの1番手で、僕が走りだした。歌番組にバラエティー、映画や舞台にコンサート、ホント、寝ずに死ぬ気で突っ走ったよ。でも当時のアルバムを今、聴く気になれません。朝からずっと働いて、夜中からレコーディング。声なんかヘロヘロだから、恥ずかしくてさ」

しかし、80年代半ばには、人気にかげりが見える。デビューから7年連続で出場していた紅白歌合戦にも落選。87年のことだった。

「その頃は、アイドルとしてもマンネリ化して、コンサートの集客も怪しくなってきていました。それでも紅白落選は『なぜ』という気持ちが強かった。ファンを悲しませてもしまった。悔しかったね」

88年には、ドラマ「教師びんびん物語」の主題歌「抱きしめてTONIGHT」がヒット。紅白から再び出場のオファーが来た。

「『びんびん』に出会って、第2次田原俊彦の時代のスタートとも言うべき年でしたね。紅白については、前の年にとても悔しい思いをしてたし、僕は、この性格だからね、嫌だ、出ない、と。たくさんの人が、説得に来ました。出た方がいいよ、大きなものを失うかもしれないよ、って。でもね、仕事のモチベーションを紅白に出るために使うのをやめようと思った。コンサートに来てくれるファンに向けていこうと切り替えたんですよ。27歳。大きな決断だったと思います」

信念を貫いて紅白出場を辞退したが、80年代後半から90年代前半にかけて、アイドル時代とは違う、大人の女性や同性からの人気も獲得、再び芸能界の頂点に立った。そして94年、ジャニーズ事務所を辞める。

「ジャニーズを辞めるって、今考えると、恐ろしいことだよね(笑い)。ただ、当時33歳。結婚して、子供ができた。30歳を過ぎたのだから、自分の道は自分で開いていこう、自分の人生、自分で決断したいという気持ちが強かったんです。ジャニー(喜多川)さんには感謝しています。2時間、観客を飽きさせないショーを、どうやって作るか、教えてもらった。ジャニーさんもプロデューサーとして脂の乗りきった年代でしたし、今も僕が、こうしてステージに立っていられる基盤を作ってくれました」

【取材・秋山惣一郎】

◆田原俊彦(たはら・としひこ)

1961年(昭36)2月28日、神奈川県横須賀市生まれ、高校卒業まで甲府市で育つ。79年、ドラマ「3年B組金八先生」に近藤真彦、野村義男とともに出演、「たのきんトリオ」の愛称で人気を得る。80年「哀愁でいと」で歌手デビュー。松田聖子と争い、レコード大賞最優秀新人賞を獲得した。88年のドラマ「教師びんびん物語」に主演。主題歌「抱きしめてTONIGHT」がヒット、名実ともにトップスターに。94年、ジャニーズ事務所から独立。2011年から、バラエティー番組「爆報!THEフライデー」にレギュラー出演。4月21日、NHKホールでの「40TH ANNIVERSARY EVE【ハート】平成LAST LIVE!」を皮切りに、7月から全国18カ所をツアー。6月27日に新曲「好きになってしまいそうだよ」をリリースする。