ロックンローラー内田裕也(うちだ・ゆうや)さん(本名・内田雄也)が17日、午前5時33分、肺炎のため東京都内の入院先で死去した。79歳。

<こんな人>

内田裕也さんは妻の樹木希林さん(享年75)を「KKさん」と照れくさそうにイニシャルで呼んだ。

4年前、年末恒例の主催行事「ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」の開催を前にロングインタビューしたときのことだ。当時、ラグビーの五郎丸歩選手とCM共演していた樹木さんについて「KKさんが着物姿でタックルされて、うっとりしている。声を失ったね」。皮肉めいた言い方だったが、サングラスの奥の目が穏やかに笑っていた。別居を続ける妻への不思議な愛情が感じられた。

60年代には、後にグループサウンズブームを引っ張ったタイガーズを大阪のジャズ喫茶で発掘。「よれよれの衣装着てたけど光っていたんだよな」と振り返った。

当時、ビートルズの来日公演でサポーティング・アクト(前座)を務めたことからジョン・レノン、オノ・ヨーコ夫妻と親交があり、ニューヨークの邸宅で「エルビスやチャック・ベリーのことを語り合った」ことを振り返った。70年代初めに変革期のロンドン、パリ、ミュンヘンを回り「新しいロックをもろに体験した。1年早くても遅くてもダメだった」。当時培った経験、人脈で「ロック界に他にない存在」となった。

妻・樹木さんとのマスコミを通じた言葉のキャッチボールや「ロックンロール!」の決めゼリフの「軽さ」とロック界に残した実績の「重さ」のギャップが、この人の不思議な魅力を醸し出したように思う。

6年前の東京ドーム、ポール・マッカートニーの来日公演で客席の裕也さんに感想を聞きにいった。名刺を渡すと「おお、この前のあの記事面白かったなあ」。初対面にもかかわらず、数日前の署名記事の感想を聞かせてくれた。意外にもスポーツ新聞を丹念に読む人だった。【相原斎】