吉田拓郎(72)が24日、パーソナリティーを務めるニッポン放送「吉田拓郎 ラジオでナイト」(日曜午後11時30分)で、14年に、のどにがんが見つかり、闘病生活を送っていたことを明かした。正式名は明かしていないが、声帯にできた異物からがんが発見されたことなどから、喉頭がんとみられる。

吉田は03年に肺がんの手術を行い、肺の3分の1を切除したことを公表していたが、のどのがんを公表したのは初めて。番組では「16年にはよみがえることができました」と、今は治っていることを示唆したが、ファンには衝撃の告白となった。

吉田は番組の後半、「僕がメディア、マスコミとかにずっと話さなかったことをですね、ラジオでお話ししておきます」と切り出すと、03年の肺がんの話題に触れた後、07年から原因不明の体調不良に襲われたことを紹介。

その後、「2014年に、実はこれはまた初めてお話をしますが、僕の声帯、のどの声帯に白板症という異物が発見されたんです。これができると声の質が変わってしまう」と明かした。

吉田は専門医に異物である白板症の切除を勧められ、全身麻酔で手術をしたと紹介。その後、「その異物を取って調べたところ、がんがまた発見されたというダブルパンチを受けてしまいまして。このがんを取った方がいいという診断で、それから、のどにですね、放射線をあてるという、放射線治療が2カ月間始まりまして」と明かした。

毎日病院に通い、毎日約10分間放射線をのどにあてる治療を行ったという。そして治療が終わってから苦痛の日々が始まったという。「数カ月間、この放射線を当てた後遺症というのが残りまして。大変な苦痛を味わうことになって、この間の苦闘というのは言葉で表現するのは非常に難しいんですが、苦しい、非常に苦しい日常だったんです。たとえば食べ物はのどを通らないし、声は出ない、のどが非常に痛い、放射線の治療が終わってもそこから約半年間、苦痛の日々が続きました」。

吉田を支えてくれたのは妻の女優森下愛子。「多分、ぼくはその時、もう歌えない、というふうに何度も思いました。うちのやつが、かみさんがですね、もくもくと日常生活を送りながら静かにぼくを支えてくれて、『必ず完治するから。1日、1日だから』と、ぼくを励ましてくれました」と涙声で語った。さらに「痛みで食べ物がのどを通らないので、毎日おかゆを作ってくれて、苦闘の日々が続きました」と再び、涙で声を詰まらせた。

その後、これまで病と闘ってきたことをあらためて振り返り、リスナーに健康の大切さを語りかけた。「苦しい体験をしましたが、その都度思ったことは人間は心と体が健康なじゃないと、なんにも幸せな気分とか、力が沸いてこない。健康とか、というようなことはむしろ若い頃はどうでもよかったんだけど、それはとてもとんでもないことで、体が健康でないといけない、そして、愛のある日常でなければ、人生が非常に味気ない、これはとても大事なことだということを痛感しました」。

最後は「心でずっと思っていることは、皆さんの健康とか、そういうものを心から願っています。そして、愛情があふれた日常生活を皆さんに永遠に送っていただきたい。そうふうに祈っております」と語った。

番組の序盤では7月10日開催のニッポン放送開局65周年記念の番組イベント「吉田拓郎 ライブでナイト2019 in 神田共立講堂」を明るく元気な口調でPRしていた。