井上陽水(70)がアーティストとしての力量を認めているのが奥田民生(53)だ。ユニット「井上陽水奥田民生」を1997年(平9)と2006年(平18)の2度も結成した。22年前、ユニット結成に至った経緯や2人のユニークな交流秘話、50周年を迎えた陽水へのメッセージを聞いた。

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2人の交流のきっかけを作ったのは陽水の長男だった。あるとき、奥田がボーカルを務めるロックバンド、ユニコーンのヒット曲「雪が降る町」(92年)を長男が熱心に聞いていた。これを知った陽水が奥田の曲を気に入り、歌詞を書き写して奥田宛てに郵送した。

「見たことのある陽水さんの字だし、これ、自分の歌詞だよなぁ~と思って…。何と言っていいか分からないからスルーをしていたんです。曲を気に入ってくれたのはうれしいけど、歌詞を送る必要はなかったと思うんですけどね」

最初の共作は、小泉今日子(53)の「月ひとしずく」(94年)。そして、PUFFYのデビュー曲「アジアの純真」(96年)へと続く。同曲は奥田の鼻歌を陽水が「こう聞こえる」として「北京 ベルリン ダブリン リベリア」という歌詞が生まれた。

「空耳みたいなもんですかねぇ。言われてみれば確かに似ているんです。でも、鼻歌を言葉に変換する能力はもちろんですが、歌詞をそんなもので作る陽水さんの心意気がすごいと思った」

当時を思い出して奥田は苦笑いした。「井上陽水奥田民生」として初のシングル「ありがとう」とアルバム「ショッピング」を発売したのは97年。曲制作のため、陽水の箱根にある別荘で合宿を行った。

「別々の部屋で、何となくメロディーみたいなものと、何となく歌詞みたいなものを1行でも2行でもいいから作って交換。また部屋に戻ってということをグルグルやっていました」

奥田の言葉からは、ユル~く楽しいつながりが感じられるが、根っこにはアーティスト同士の信頼関係が浮かび上がってくる。

奥田は陽水独特の声を天性のものだと指摘した。

「騒がしい居酒屋で『すみませーん』と店員さんを呼ぶと、100人の客がいてもスパンと耳に届く。音程が揺るぎなく抜ける声は持って生まれたもの。鍛錬で得たものではないね」

ファンの熱烈な支持もあって「井上陽水奥田民生」は06年に再始動。翌年に初のツアーも実施した。それから12年。3度目のユニット結成は「やろうと思えば自然にできると思います。あとはスケジュールの話。何かできればいいなと思います」と前向きだった。

音楽を離れたエピソードも教えてもらった。1つは野球が上手なこと。「スポーツをしないように見えるけど剛速球を投げる。キャッチボールをしたら球がめっちゃ速い。手が超痛かった」。もう1つは大のカニ好きなこと。陽水が作詞したPUFFYの曲「渚にまつわるエトセトラ」にも「カニ 食べ 行こう」の歌詞がある。

「昔、陽水さんのバンドの人たちが、ツアーでカニばっかり食べていて、全員がすごく太っていたことがありました」

50周年を迎えた陽水へのメッセージを求めると「多分、タバコはやめてないですよね。80歳や90歳でもあの声が出ていたら『タバコなんて関係ないでしょ』と自分も言えるのにな…」

おいしそうにタバコをくゆらせながらそう話した。【松本久】

◆奥田民生(おくだ・たみお)1965年(昭40)5月12日、広島生まれ。86年にバンド「ユニコーン」を結成。89年にシングル「大迷惑」がヒット。93年の解散後ソロに転向。94年「愛のために」がミリオンセラー。バンドは09年に活動を再開した。代表曲に「イージュー★ライダー」「さすらい」など。パフィーや木村カエラのプロデュースも手がけた。6日からユニコーンの全国ツアーを展開中。