かつてジャニーズ事務所に所属し「たのきんトリオ」として活躍した「よっちゃん」こと野村義男(54)が10日までに、自身の公式サイトで、9日に死去したジャニー喜多川社長(享年87)を悼んだ。

野村はサイト内のコラム「野村哲学道」の中でジャニー氏の訃報にふれ「本当に、もっともっと長く長く現場に出ていて欲しかったと思う半面、やっと、ゆっくり休めますね。とも思っちゃいました。お疲れ様でした。そして、本当にありがとうございました。僕にとっては、あなたの存在が今日までギターを弾かさせてくれました」とつづった。

野村は現在ギタリストだが、かつてジャニー氏からは「リズムが悪い。上手くなりたいのなら、フレーズよりも、まずはリズムを正しく、正確に刻める様にしないと、うるさいだけだよ」などと、ギターについてはたくさん怒られたという。しかし「でも、1度も『ギター辞めちゃいなよ』とは言わなかったのは、今、思えば不思議でしたね」「歌って、踊れるタレントの卵たちの中で、歌えない、踊れない卵も捨てずにちゃんと見ていてくれた事、本当に『ありがとう』だけでは、返しきれません」と振り返った。

事務所退所後も、ジャニー氏は「テレビ局やスタジオで偶然会うと、たくさん話しかけてくれましたね。本当に嬉しかったし、周りのメンバーにも自慢でしたよ」。そして「とにかく事務所を辞めてからの二十数年間、ダメ元でぶつかって来ました。それは『ダメ元=Youやっちゃいなよ』だったからです。本当にすごい人。僕みたいに退所した人間までプロデュースし続けてるんです」「僕を見つけてくれて本当にありがとうございました。出逢えた事、本当に感謝しています」と何度もジャニー氏への深い感謝の意をつづった。

最後にジャニー氏と話したのは約3年前。ジャニー氏は、現場のスタジオにいた人に「こちら、ギタリストのよっちゃん」と言ってくれたという。野村はその時を振り返り「本当にギター弾いてて良かった。1つでも認めてもらえるものができた事が、僕の自信です。僕を見つけてくれて、ありがとうございました。本当にありがとうございました」とし、「いつまでも『Youやっちゃいなよ』は忘れずに居ますからね。本当にジャニーズ事務所の子で良かった」と続けた。

野村はコラムの最後に、自身が小学校6年生だった時、ジャニー氏がスカウトした時に渡してくれたという同氏の名刺画像を掲載。「今でもずっと僕の机の上に、パッケージして、毎日見えるようにしてあります。宝物ですから。本当に長い間お疲れ様でした。もう、ゆっくりしてくださいね。心から感謝しています」と書いた。

野村は近藤真彦、田原俊彦とともに「たのきんトリオ」と呼ばれ、1980年代前半に人気となった。