30日に肺炎のため79歳で亡くなった藤本義一さんは、阪神大震災後、震災による足のけがを抱えながら、「両親を失った子のケア施設を」と呼び掛けた。

 支援が集まり、兵庫県芦屋市に1999年、子どもが精神科医の診療を受け、地域の人と交流できるケア施設「浜風の家」がオープンした。

 開設のきっかけは、藤本さんが子どもとお年寄りの交流の場として94年に開いた「百円塾」が大震災直後、民間避難所になったこと。

 「塾を避難所にした人は行政主導の施設より回復が早かったと感じた」。「官」より「民」の力に信頼を置いた。

 「定年のない仕事を」とラジオや映画の脚本の仕事を始め、テレビ全盛の時代は、生放送の人気番組「11PM」の司会に。合間に書いた小説で直木賞を受賞するなど、多面的に活躍した才人だった。

 「小説ほど自由なものはない。俳優や天候の拘束もないし、犯罪者の内面を描くこともできる」

 2003年のプロ野球阪神優勝のときは、往年の名投手村山実さんを回想し「一緒に阪神優勝を語りたかった。権威、権力に抗した彼の投法こそが阪神の象徴である」と書いた。関西の反権力の風土をこよなく愛した作家だった。