12代目市川団十郎さんの長男市川海老蔵(35)が4日午前、都内にある団十郎さん(享年66)の自宅を弔問に訪れた。団十郎さんは3日に、肺炎のため亡くなった。
-父を見送ることはできましたか
海老蔵
できました。
-最後の様子は
海老蔵
いつも妹が看病していました。昨日は地方で仕事をしていて、その帰りを待って…。闘病生活が大変でした。ホッとした表情です。
-家族そろって
海老蔵
みんなそろって見守りました。おかげさまで。
-風邪と聞いていましたが
海老蔵
当初は肺炎。大きな病気を2回ほど患っているので、その所も引っかかって、免疫力も下がっていたので感染症に弱い状況となっていて、肺炎の状況や白血病の状況があって、最終的にはそういった物が重なってしまった。昨日の豆まきのころは元気でした。
-最後の会話は
海老蔵
1月19日から肺炎の状況が良くなく、眠りながらの治療、集中的な治療を選択していました。順調でしたが、突然だった。家族も驚いていました。舞台をしていたので、何回かしか病院には行けず、最後はテレビ電話で話をしました。
-会話の内容は
海老蔵
そのときは父は話せない状況でしたが、珍しく笑顔でした。それが意識のある最後の会話だった。
-2人目の子供は見せることができなかった
海老蔵
次は男の子で、一番父が喜んでいました。一緒に舞台も出たかっただろうし、抱きたかっただろう。回復に向かっていたので家族としては言いようがない。また歌舞伎界にとってもとても大きなことがまた起きてしまった。
-2人目が男の子と分かったときはどんな様子でしたか
海老蔵
とても喜んでいた。家族の話によると、今までにないくらい喜んでいました。
-海老蔵さんにとってどんな父親でしたか
海老蔵
僕はやんちゃでわがままで、わんぱくな部分も強いのに、大きな器で見守ってくれる何かを持っていました。愛のある人だった。自分ごとを後にしてでもみんなのことを考えてくれていた。自分自身のことは忘れがちで自分がつらくても決して弱音を1回も吐かなかった。
-自身がつらくても表に立ってくれてどんな思いか
海老蔵
父のところで生まれてきて良かった。だからこそ、感謝。
-父の愛を感じていた
海老蔵
いつも感じていました。父は父を早くに亡くしているということもあり、その思いは息子には味わわせまいとしていました。
-2人の子供ができて親孝行できたのでは
海老蔵
本名に親孝行の「孝」が付いているのに、全然親孝行できなかった。でも、歌舞伎の方で精進している所を見せられれば、どこかで見ていてくれるでしょう。
-ご自身が父から学んだことは
海老蔵
自分のことを置いてでも周りのこと…。優しい人でした。本当にみんなに光を与えてくれた。
-思い出の言葉は
海老蔵
無口なタイプでしたが、時には細かく説明してくれました。そのことはビデオで残しています。何と言われると…。
-最後に掛けた言葉は
海老蔵
この世の全ての言葉を掛けました。
-どんな表情か
海老蔵
今は解放された表情。父は笑顔でした。
-今後は
海老蔵
父の思いを少しでも受け継がれるように、精進していきたい。自分自身がしっかりしないと。