<92年4月26日付紙面から>
不安と不満でいっぱいの若者の心を丸抱えにして歌う破滅的な雰囲気が尾崎さんの魅力だった。自身、度重なる非行歴と登校拒否により高校を中途退学した過去もあり、1983年(昭58)に歌手デビューしてからは、代表曲「卒業」で規制だらけの学校生活への反発と将来への不安を歌い続けた。「逆らい続け、あがき続けた」(卒業)と扇動する歌詞と、強引なまでの奔放な生き方は一部の若者から宗教的にあがめられるようになった。アルバムも平均40万枚を売った。
が、反骨のヒーローと呼ばれる割には精神的にもろかった。曲作りに苦しみ、ノイローゼ状態に陥ることも少なくなかったという。87年、膨張する人気のプレッシャーに耐えられず覚せい剤に手を出し、懲役1年6月、執行猶予3年の判決を受けた。デビュー当時、高さ6メートルの音響機材上から飛び降りて全治5カ月の重傷を負い、周囲から「まるで自殺行為」とあきれられたエピソードもある。
麻薬事件後は所属事務所を二転三転した。現在はレコード会社のソニー・ミュージックに預かりの身となっていた。一昨年9月の女優斉藤由貴との不倫交際発覚以来、音楽活動にかつての精彩を欠いた。
だが、5月10日には1年半ぶりのアルバム「放熱への証(あかし)」とシングル「汚れた絆」を同時発売。6月1日からは日本武道館での東京公演(6月15、16日)を含む全国20カ所のツアーも組んでおり、1年ぶりの本格始動を目前にしての出来事だった。再起は過度のプレッシャーとなったのだろうか。ニッポン放送では追悼の意味を込めて、この日深夜0時30分「放熱への証」を初めて放送した。




