<2007年5月29日、日刊スポーツ紙面から>

 

 90年代を代表するグループ、ZARDのボーカル坂井泉水さん(40)の突然の死に、多くのファンや芸能関係者が悲しみにくるまれた。都内の所属事務所に設置された献花台には多くのファンが花を手向け、そっと手を合わせた。記帳には「最高の歌をありがとう」などの言葉が記された。恋心を描いた詞と自分の青春時代を重ね合わせた多くの人たちが、不世出の歌姫の早すぎる死を悼んだ。

 東京・六本木にある坂井さんの所属事務所には、献花・記帳台が設けられ、多くのファンが、最後の別れを惜しんだ。学生やカップル、ベビーカーを引いた主婦ら。訪れるファン層は幅広く、等身大でストレートな歌詞と印象的なメロディーが、多くの人々に親しまれたことをうかがわせた。

 飾られた写真は99年発売のベストアルバム「軌跡」のために撮影されたもの。「優しげな坂井さんの雰囲気をよく表している」と、事務所が選んだ。

 「青春そのもの」「永遠の友達です」「最高の曲をありがとう」。記帳には多くの感謝の言葉が並んだ。プロモーションビデオやシングル、アルバム全作品を30分以上も見入ったまま、涙を流し続けるファンもいた。

 仕事を終えて記帳に来た会社員松坂直さん(31)は「高校生のころからのファンでした。体調を崩していることは知っていました。最初、知人から『ニュースを見ろ』というメールをもらった時は解散するのかと思った。それでニュースを見たのですが、信じられない」と、肩を落とした。近所に住むアルバイト宮崎悦子さん(46)は「芸能人らしくない気さくな雰囲気が好きで、CDショップに入るといつもZARDに目がいきました。30代のころから好きで『負けないで』は落ち込んだりした時に聞いていました」と、突然の訃報(ふほう)を悲しんだ。

 都内の各大型レコード店では、早くも「ZARD」コーナーが新設され、CDやDVDを求め多くのファンが訪れた。タワーレコード渋谷店では「問い合わせも多くベスト盤から売れています。メーカーにも注文をしましたが、在庫不足のようで再入荷日は未定です」。販売元のB-Gramには全国から入荷要請が殺到し、収拾がつかない状態だという。○…本名の蒲池幸子で発売した90年発売の写真集「NOCTURNE(ノクターン)」は、プレミア写真集として有名な1冊。絶版になっており、現在も高額で売買されている。定価1800円のところ、インターネットでは15万円前後、古本屋書店街がある東京・神田神保町では10万~15万円で販売されている。20万円を超えた時期もあったという。アイドルとして活躍した蒲池の名前で発売した唯一の写真集。セミヌードなどセクシーショットを披露している。○…街中も坂井さんの転落死の話題でもちきりだった。駅の売店に並ぶ夕刊の見出しを見たOLが「え~っ、うそ~。ZARDってあのZARD?」と新聞を購入。都内のレコード店では、CDを手に取る30代のサラリーマン、OLの姿が目立った。都内在住OLの大谷葉月さん(28)は「驚きました。子供のころから聞いていた人ですし、がんだったことだけでもショックなのに、転落死だなんて…」。CDを手に取っていた都内在住の会社員の武田賢一さん(38)は「ベスト盤を買います。青春時代を思い出させてくれて懐かしい。自殺なんですか?

 事故なんですか?」と困惑の表情だった。

 ◆ZARD/坂井泉水さんを偲ぶ会

 6月27日(時間未定)に東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で営まれる。

 音楽評論家田家(たけ)秀樹氏(60)

 坂井さんは90年代ガールズポップスの代表者の1人でした。嫌みのない、さわやかな声の良さと曲、口ずさめる親しみやすさ、女の子の気持ちを的確に表現した詞の内容で、シンガーとして特別な存在でした。曲を聴いただれでもがセンチメンタルな気持ちになれた。これは、松田聖子や竹内まりやとも共通しています。

 また、坂井さん本人がメディアに露出しないことも特徴的でした。キャラクターそのものやテレビの力を借りず、歌の持つ力だけで売れた。これは(所属レコード会社の)ビーイング系の特徴で、サビの部分のキャッチが特にしっかりしていることもヒットした要因だと思います。

 織田哲郎(49)

 突然の訃報(ふほう)に言葉が見つかりません。このような形でお別れをすることになるとは思ってもみませんでした。坂井泉水さんと出会えて、彼女と一緒に作品を作ってこられたことを誇りに思います。

 所属事務所が同じだった大黒摩季(37)

 ひと時代を共にした1人として大変ショックなことであり残念でなりません。心からのご冥福をお祈りします。

 岡本夏生(41)

 青春時代に、レースクイーンとして“同じ釜の飯を食べた仲”です。当時の坂井さんは口数も少なく物静か。騒いでばかりの自分と違って上品な方でした。「自分が…」というタイプではないので、芸能界には向いていないと思ったほど。当時から「本当は歌手になりたい」と話していました。詞をノートに書きためていて、びっしりと文字で埋まったノートを見せてもらったこともあります。歌手になってからは、こっちが遠慮してしまって「おめでとう」のひと言を言えなかったのが悔やまれます。

 森進一(59)

 坂井泉水さんには、04年に発売の「さらば青春の影よ」という作品(詞)を書いていただきました。坂井さんの熱い思いの込められた、新しさの中に懐かしさも感じられる素晴らしい作品で、幅広い年代の方からご好評をいただいて、とてもうれしく思ったものでした。