「今年はステージに立たないことを決めました」。矢沢永吉(58)がデビューから36年間、毎年続けてきたライブツアーを初めて休む。昨年12月に迎えた、前人未到の日本武道館100回公演達成という節目。それを終えて「音楽や人生を少し距離をおいてじっくり考えたい」という心境を、日刊スポーツに手記として寄せた。

 矢沢は72年にロックバンド、キャロルのボーカル&ベーシストとしてデビュー。以来、昨年まで欠かさず年間40~50本のライブツアーを行ってきた。武道館をはじめ、後楽園球場、東京ドーム、横浜スタジアムなど大規模公演だけでなく、時にはライブハウスのステージにも上がり、ファンとコミュニケーションを図ってきた。矢沢の魂の宿る場所から一時、距離を置くという。ライブ活動以外の新曲発売なども白紙の状況だ。矢沢にしか説明、表現できない37年目の決意を、683文字に込めた。<矢沢永吉手記>

 デビューして36年。とにかく走って走って、走りまくってきたというのかな。日本のロックアーティストでそれまで誰も開けたことのない扉。片っ端から蹴っぱくってきたね。

 思えば今から30年前、後楽園球場が終わって世間的に矢沢のピーク(※1)になっていた時、矢沢自身はというと何とも言えない気持ちになっていた…。「やり尽くしてしまった!」と言ったら聞こえも格好も良いんだろうけど「次はこれやるぞ!」っていうような大きなものが見えなくなってしまったと言うか…。そう、目標を失ってしまったんだね。

 だから、アメリカに行くことを決めた(※2)。世界にはまだまだ上がいるんだよね。世界のすごいやつらを見て、出会って、日本で目標を失っていた自分がある意味ちっぽけにも思えたんだ。あの時にアメリカに行ったからこそ、また次の扉を開けることができた。

 去年のツアーで武道館100回目の公演を終えて、残ったのは切ないような、甘いような、これもまた言いようのない気持ち。それは毎年ツアーが終わると同じような気持ちにはなるんだけど、でも酒飲んでダラダラやって、みたいな生活をしばらくしてると「またステージに立ちたい!」「また音楽をやりたい!」という気持ちになるんです。

 それが今回はなんて言うのかな、自分が生み出してきた音楽とか、自分が走ってきたこととか、残りの人生とか、少し距離をおいてじっくり考えてみたい…。こういう気持ちって、誰だって1度や2度あると思うんですよ。僕の場合は、それが今なんです。

 だから今年はコンサートを休もうと思っています。またみんなの前に立つ時が来たら、必ず最高のステージを見せます!

 よろしく。

 

 

 

 

 

 

 

 矢沢永吉

 ※1

 78年に「時間よ止まれ」がミリオンヒット。後楽園球場で5万人動員の単独公演を行い、所得番付の芸能部門でロック歌手として初めて1位に登場。自伝「成り上がり」を発表。

 ※2

 80年にワーナー・パイオニアに移籍し、翌年に単身渡米してアルバム「YAZAWA」を全世界発売。83年に「ROCKIN’

 MY

 HEART」が米ビルボード誌の推薦曲に選ばれた。