大阪地検特捜部が詐欺容疑で4日に逮捕する方針を固めた小室哲哉(49)は日本芸能史で経済的に最も成功した男だった。90年代後半、音楽史に残るセールス記録を次々と樹立。絶頂期には2年連続で高額納税者番付4位となり、預金総額は100億円を超えた。海外別荘に加え、豪華クルーザー、高級外車をいくつも保有した。ところが、00年以降、離婚した前妻への巨額慰謝料の支払い、海外での事業失敗も重なって転落人生が始まった。最近は悪化する資金繰りに苦しみ、資産を切り崩すその場しのぎの生活を続けていた。

 絶頂期の小室は、文字通りけた違いの金満生活を送っていた。当時を振り返ったインタビューでも「通帳は10けたまでしか表示されないから、途中からけたが分からなくなりました」と答えており、預金は軽く100億円を超えていた。スタッフを引き連れたラスベガス旅行では自家用ジェット機を使い、ギャンブルの“軍資金”も振る舞う豪遊だった。ロス、ハワイ、バリ、マリブなど世界を代表するリゾート地には、レコーディングスタジオを併設した別荘を建てた。別荘には豪華クルーザーを停泊させ、都内の豪邸にも最高級クラスのベンツやフェラーリなど高級外車をいくつも並べた。

 栄華を極めた生活を支えたのは、音楽史上に残る空前のCDセールスだった。小室ファミリーと呼ばれた楽曲提供アーティストはチャート上位を常に独占。96年は、globeのアルバム「globe」が売り上げ400万枚以上に達し、オリコン記録を塗り替えた。安室奈美恵のアルバムも300万枚を超えるなど、96年だけでもCDを1500万枚以上も売った。96年から2年連続で高額納税者番付で全国4位になるなど、資産のスケールは芸能界の枠を超えていた。97年の納税額は約11億7000万円で推定所得は23億円を超えた。

 止まらない勢いに乗り、96年末には米国のメディア王ルパート・マードック氏が率いる会社と香港に合弁会社を設立し、アジア進出に乗り出した。翌97年にはハリウッド映画「スピード2」のテーマ曲も手掛けるなど日本音楽界のトップに君臨した。

 つまずきは、頂点を極めた直後から始まった。99年以降、CDの売り上げは急降下。投資した海外事業が70億円といわれる巨額の損失を出すなど、失敗も表面化した。01年から吉本興業と契約を結び、活動の幅を広げようとしたが、上昇の気配はなかった。

 とどめを刺すように、01年に結婚した歌手吉田麻美と02年に離婚した。7億円とも言われる慰謝料を一括で支払う財力はすでになく、娘の養育費は分割払いで合意したが、04年ごろからそれも滞りがちだったという。資金繰りの悪化で台所事情は苦しくなる一方だった。このころから別荘や株、高級外車、クルーザーなど資産売却を始め、現在までその場しのぎの生活を続けていた。

 関係者によると、数日前も知人を頼りに数千万円の借用を申し出る金策に走っていた。返済の意思を示すことができていたら、逮捕はなかったのかもしれない。