円楽さんは不慮の死をとげた妹とともに眠る。88年に自ら建てた墓は、実家でもある東京・足立区の易行院(いぎょういん)にある。「円楽之墓」と刻まれた墓石の隣には、妹信子さんを供養する観音像が安置されていた。日本航空の客室乗務員だった信子さんは72年、インドでの墜落事故で23歳で亡くなった。観音像は円楽さんの希望で作られたもので、毎年の彼岸には必ず同院を訪れ、手を合わせていたという。義姉章子さんは「円楽さんは信子さんを本当にかわいがっていましたから」。生前から墓を用意したのも、空に散った妹への「いつもそばにいるよ」という思いだったのかもしれない。

 [2009年11月1日11時17分

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