<第60回NHK紅白歌合戦を語る(3)=氷川きよし>

 演歌界のプリンスとして、00年に彗星(すいせい)のごとくデビューした氷川きよし(32)も、今年で早くも10周年だ。昨年には初の大トリという大役を、代表曲「きよしのズンドコ節」で果たした。「すごく光栄でうれしい思いのある一方、大きなプレッシャーと責任感でいっぱいいっぱいでした」と振り返る。

 年明けには「紅白の大トリ、見たよ」と多くの人に声をかけられた。「いまだに『ズンドコのきよし君』と言われることが多いんです。自分に対するイメージがそこで止まっているのかなと思うと、次のステージの『氷川きよし』にならなければという葛藤(かっとう)が出てきます。出す曲とともに成長していかなければいけませんから」。あくなき向上心が、デビュー以来10年連続出場の原動力になっている。

 初出場から大トリを担う前年までの8年間続けて新曲を歌った歌手もあまり例がない。毎年、ヒット曲を出しているからこそ可能になることだ。2回目の出場(01年)で歌手別視聴率で1位をマーク。5回目の出場(04年)では、NHKが初めて実施した「紅白に出てほしい歌手アンケート」で男性部門1位に選ばれた。「本当にありがたいこと。期待に応えられるようにこれからも1日1日、心を込めて歌い続けていきたいです」。

 丁寧な口調で、話す内容も超まじめな氷川。失敗談には無縁だが、紅白での「痛い思い出」が1つある。02年に「きよしのズンドコ節」を歌った時だった。「イントロから、やたらテンションが上がっちゃって『イエーッ!』と、1人で大声で叫んだんです。その時は無我夢中でしたけど、後からビデオを見たら、自分のハイテンションだけが浮いていて『わっ、寒い』と思いました。今はコンサートの時に、間奏で『イエーッ』と言うと、お客さまも『イエーッ』と返してくださる。あの時の失敗があるから、今のタイミングにつながりました」。“痛みと寒さ”から、かけ声のタイミングを学んだのも向上心のたまものだ。

 「氷川きよし」の名付け親である北野武監督と、志村けんが応援に駆けつけた初出場(00年)。侍に扮(ふん)した2人が、切られて倒れる際に「コマネチ!」「アイーン!」と得意のフレーズを発した爆笑シーンも、緊張からほとんど覚えていない。「あの時は夢物語の中にいるようでしたから」。歌手になる夢を正夢に変えて10年。平成の歌謡界をこれからも氷川が盛り上げていく。【松本久】

 ◆氷川(ひかわ)きよし

 本名・山田清志。1977年(昭52)9月6日、福岡市生まれ。高卒後に作曲家水森英夫氏の内弟子になるために上京。3年半の修業の末、00年に「箱根八里の半次郎」でデビュー。同年の日本レコード大賞最優秀新人賞。06年には「一剣」で日本レコード大賞。代表曲に「きよしのズンドコ節」「浪曲一代」「ときめきのルンバ」など。趣味は水泳、料理。178センチ、60キロ。A型。

 [2009年12月20日7時24分

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