「ハリウッドの反逆児」と呼ばれ、映画「イージー・ライダー」で知られる米国人俳優デニス・ホッパー氏が29日(日本時間30日)、前立腺がんによる合併症のため、米ロサンゼルスの自宅で死去した。74歳だった。監督や配給先とのトラブルでハリウッドを追放され、飲酒や麻薬におぼれながらも、86年「ブルーベルベット」で復活。ハリウッドの殿堂入りも果たした。親日家としても知られ、日本のテレビCMに出演。5度結婚するなど、私生活でも話題をふりまいた人気俳優が逝った。

 ホッパー氏は、家族と友人にみとられながら静かに亡くなった。09年10月に前立腺がんを公表し、同12月に入院。10年1月にがんが骨に転移し、周囲に余命わずかであることを明かしていた。気力を振り絞り、3月にはハリウッドの殿堂入り式典に出席。「ハリウッドは家であり、学校であった。人生のすべてを皆さんから学んだ。本当にありがとう」と笑顔をみせた。1度は追放された映画界に感謝の気持ちを込め、関係者の胸を打った。

 幼いころからハリウッドにあこがれ、高校時代から演技の勉強を始めた。55年にテレビドラマでデビューし、同年「理由なき反抗」で映画初出演。共演のジェームズ・ディーンと友人になり、影響を受けた。ディーンの死去後、監督と意見が合わず、大ゲンカ。ハリウッドから事実上追放された。それでも映画製作の意欲を失わず、若者たちの放浪の旅を描いた「イージー・ライダー」(69年)で監督、脚本、主演の3役に挑戦。低予算ながら世界中でヒットし、アメリカン・ニューシネマの旗手として有名になった。

 自身が監督した71年「ラストムービー」の配給を巡って映画会社と対立し、再び表舞台から遠ざかった。飲酒と麻薬の中毒が悪化し、入退院を繰り返しながらも、映画界に復帰。86年「ブルーベルベット」で狂気の男フランク役を務め、ほとんどのセリフの間に“FU〇K”と叫ぶ異常な演技で注目され、復活を果たした。大ヒットした娯楽作品の出演は94年「スピード」ぐらいで、C級映画の出演が多く、“反逆児”のイメージは晩年まで続いた。

 90年以降は何度も来日。東京でのファッションショーや、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭に参加し、勝新太郎さんと友人になった。トヨタやホンダの日本車、ツムラの浴用剤のテレビCMに出演し、アヒルのおもちゃと風呂に入るシーンで人気に。私生活では5度結婚し、現在の妻ビクトリアさんとの離婚も申請中だった。09年までテレビドラマの出演を続けており、俳優人生は半世紀以上。ファンの記憶に永遠に刻まれる名優だった。

 [2010年5月31日10時24分

 紙面から]ソーシャルブックマーク