10日に脳梗塞(こうそく)のため死去した故坂上二郎さん(享年76)の家族葬が13日、栃木県那須塩原市内で営まれ、コント55号の相方でコメディアン萩本欽一(69)が二郎さんと最後の別れをした。東日本大震災の影響で東北新幹線がストップしていたが、萩本はJR宇都宮線とタクシーを利用し、同市の会場に約4時間かけて駆けつけた。

 萩本はあえてひつぎの中にいる二郎さんの顔を見なかったという。「私の中に二郎さんは生きているから。お花を入れる時、足の方に手を合わせて『コント55号最高だったね』『やさしくしてくれてありがとね』『僕の中ではいなくなってないから。また明日会おうな』『二郎さんの足元にも及ばなかったよ』と声をかけました」。

 二郎さんはかねて家族に「(葬式は)家族だけでやってくれ」と遺言のように話しており、式は家族葬となった。だが、この日、萩本が瑤子夫人(75)に「お別れの会」の開催を相談し、「欽ちゃんが好きなようにやってあげて」と同意を得た。「劇場を借りて、僕が司会をやって、にこやかで二郎さんのバカバカしい話をたくさんしてお笑いでやりたいなと。(片岡)鶴太郎さんにお願いしてボケをやってもらおうかな」。

 遺影は、二郎さんが生前気に入っていたという50代のころに宣材写真として撮影した笑顔の写真が使用された。ひつぎには歌手としてヒットした「学校の先生」の楽譜を入れられ、戒名は「慈照院和道法郎居士(じしょういんわどうほうろうこじ)」とつけられた。出棺の際、坂上さんの遺影を持った萩本は「元気に見送ってあげてください。坂上二郎さんはただ今、飛びます、飛びました」と言い、二郎さんを見送った。