テレビ朝日系ドラマ「あばれはっちゃく」シリーズの先生役などで知られる、俳優山内賢さん(本名・藤瀬賢晁=ふじせ・のりあき)が24日午前4時53分、肺炎のため入院先の東京・新宿区の東京女子医大病院で亡くなったことが分かった。67歳だった。山内さんは03年に左肺腺がんを発症して以降、06年に右肺小細胞がんを患うなど、8年にわたり闘病生活を続けてきた。一昨年に女優稲垣美穂子(73)主宰の劇団目覚まし時計の舞台に出たのを最後に、療養を続けていた。

 闘病生活が8年にも及んだとは思えないほど、安らかな最期だった。山内さんはこの日早朝、妻敦子さん(56)と27歳と24歳の息子2人にみとられ静かに息を引き取った。最後の言葉は、亡くなる2日前の「みんなに感謝」だった。敦子さんは「涙が出ました。『そんな弱気なこと言わないで楽しんで生きよう。どこか行こう』と呼びかけましたが…。きれいにフェードアウトするように呼吸して、おだやかに亡くなりました」と話した。

 山内さんは55年に子役としてデビューし、東宝や日活の映画に出演。64年の「うず潮」では、吉永小百合とも共演した。70年代以降はテレビに進出し、テレビ朝日系で79年から85年まで放送された人気ドラマ「あばれはっちゃく」全5シリーズに先生役として出演。はっちゃくが家出すれば自宅に泊める心優しい姿は、少年少女の心をつかんだ。また、日本テレビ系「ごちそうさま」では初代「さすらいの食いしん坊」として、各地の美食を紹介するなどリポーターとしても一時代を築いた。

 03年に左肺腺がんが見つかってから、がんとの闘いが続いた。同年に摘出手術を受けたが、06年に右肺小細胞がんを発症し、手術したものの08年に再手術。昨年には左肺にがんが見つかり、手術が不可能だったため抗がん剤治療を続けた。3月に脳に転移し、8月に全脳に放射線治療を行ったが、今月13日に39度の熱を出し緊急入院した。

 それでも痛みや副作用は少なく、抗がん剤による脱毛だけが悩みだった。2年前の舞台を最後に大好きな仕事を控えたのも、見た目がイメージ的に良くないと考えたからだ。常に前向きで、2年前から亡くなるまで「零戦」の模型作りに打ち込み、完成に近い状態だったという。8月末には「ハゼ釣りに行く」と新しい道具もそろえていた。敦子さんは「覚悟していたので、いい時間を過ごせました。本人も『いつ、自分は死んだんだ?』と思っているでしょう」と気丈に話した。

 ◆山内賢(やまうち・けん)久保賢の名で、55年9月公開の映画「姿なき目撃者」でデビューし、同10月公開の「あすなろ物語」に出演。62年に日活と契約後、芸名を山内賢にあらためる。同年にバンド「日活ヤング・アンド・フレッシュ」を結成し、64年に和泉雅子とデュエットした「二人の銀座」がヒット。その後テレビへ活躍の舞台を移し、日本テレビ系「ごちそうさま」の初代「食いしん坊」になったほか、旅番組のリポーターとしても活躍。俳優久保明(74)は実兄。