かつて歌手としてミリオンヒットを記録した大相撲の三保ケ関親方(63=元大関増位山)が24年ぶりに男女デュエット曲をリリースすることが3日、分かった。現役時代のしこ名の増位山太志郎として、タレント松居直美(44)と「秘(ひ)そやかに華やかに」を25日にリリースする。

 1970年代後半に一世を風靡(ふうび)した増位山が、歌謡界に戻ってくる。小結時代の74年に「そんな夕子にほれました」で歌手デビュー。角界きっての二枚目のルックスと甘い歌声で、一躍人気者となり、77年の「そんな女のひとりごと」は、売り上げ約130万枚の大ヒットになった。今をときめくAKB48ですら、多人数で超えている数字で、現在のほかのアーティストでは到底届かない枚数だ。「僕1人でミリオンだったことがすごいって?

 実は辞退させられたんだけど、昔はNHK紅白歌合戦のオファーもあったんだよ」。78年の日本有線大賞では、有線音楽賞とベストヒット賞を獲得した。

 しかし、80年代後半から日本相撲協会が、親方や力士の副業を禁止したことから、その歌声は封印された。07年10月に当時、横綱審議委員だった内館牧子氏の作詞、船村徹氏の作曲による「水玉のスカーフ」で、ようやく再デビューにこぎつけるも、同時期に時津風部屋力士暴行死事件が発覚した。公開レコーディングは中止となり、PR活動を自粛した。結果、同曲は世に広く知られることはなかった。

 その経緯から今回こそが、増位山としてのリベンジ曲。昭和デュエット歌謡の王道ソングに仕上がり、親方は「僕のことを覚えている人は少ないだろうけど、年配の方々には、懐かしがってくれる人がいるかもね。実生活は夫婦円満だけど、僕の声は不倫のような秘めた恋歌にピッタリなんだ。最高のデキだよ」と、ご機嫌だった。【瀬津真也】

 ◆増位山太志郎(ますいやま・だいしろう)1948年(昭23)11月16日、兵庫・姫路市生まれ。67年初場所で初土俵を踏み、大関まで上り詰めて、81年春場所で引退。597勝538敗18休。84年11月に師匠で父の先代から三保ケ関部屋を継承した。歌手としては、川中美幸や日野美歌らとデュエット曲も多数あり、88年の長沢薫との「夜の恋の物語」が最後だった。180センチ。血液型O。