今月12日に東京・新宿区内でタクシーにはねられ重傷を負った若松孝二(わかまつ・こうじ)監督(本名・伊藤孝)が17日午後11時5分、搬送先の病院で死亡した。76歳だった。18日は検視を終え、遺体は都内の自宅兼事務所に戻った。突然の訃報に、寺島しのぶ(39)高良健吾(24)ら、監督作の出演者たちにも悲しみが広がった。23日に通夜、24日に葬儀・告別式が東京・港区の青山葬儀所で行われる。

 午後1時50分ごろ、若松監督が病院から家族に付き添われ、無言の帰宅をした。出迎えた事務所関係者は「映画にささげてきた人なので、最後はご家族にゆだねたい」とコメントを避けた。次々と供花や弔電が届き、映画界が受けたショックの大きさを表していた。

 事故が発生したのは12日午後10時15分ごろ。新宿区内藤町の外苑西通りを渡ろうとして、70代男性の運転するタクシーにはねられた。信号のない場所だった。腰と頭を強打する重傷を負い、都内病院に救急搬送され治療を受けていた。

 その後、「命に別条はない」という情報もあったが、関係者は「救急車に乗った時は話せましたが、病院に着いた時には意識がなく危険な状態でした。ずっと小康状態でしたが、最後に力尽きたということです」と説明。権力や体制と闘い続けてきた監督は、家族にみとられ静かに旅立った。

 一夜明けたこの日の夜には、10年公開の主演作「キャタピラー」でベルリン国際映画祭最優秀女優賞を獲得し、遺作「千年の愉楽」にも主演した寺島が若松監督宅に弔問に訪れた。悲痛な表情で「『ありがとうございました』しか言えません。監督からいただいたものはあまりにも大きい」と話した。ブログにも「突然いなくなってしまった若松監督。今いったい、いったいどこにいらっしゃるんですか?」と記し、その死を受け入れがたい様子だった。ほかに崔洋一監督らが弔問に訪れた。若松監督作品の常連俳優の井浦新は、関係者が「ショックが大きくコメントできる状態ではない」とした。

 若松監督は60年代に性とバイオレンスを盛り込んだ先鋭的な作品で、ピンク映画の巨匠と呼ばれた。65年には若松プロダクションを作り、一貫して独立プロダクションでの映画製作を続けた。全共闘世代に熱狂的に支持されたことも特徴。海外での評価も高く、今年はカンヌで「11・25自決の日

 三島由紀夫と若者たち」、ベネチアで「千年-」が上映され、ベルリンと合わせて世界3大映画祭への参加を果たした。

 ◆若松孝二(わかまつ・こうじ)本名・伊藤孝。1936年(昭11)4月1日、宮城県生まれ。高校中退後、上京。62年に助監督で映画界に入り、63年、ピンク映画「甘い罠」で監督デビュー。「実録・連合赤軍

 あさま山荘への道程」で、08年ベルリン国際映画祭最優秀アジア映画賞などを獲得。10年には「キャタピラー」に主演した寺島しのぶが同映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)を受賞。最新作「千年の愉楽」(寺島しのぶ主演、来春公開予定)は今夏、同映画祭オリゾンティ部門に招待された。<葬儀日程>

 ▼通夜

 23日午後6時から東京都港区南青山2の33の20青山葬儀所

 ▼葬儀・告別式

 24日午前10時半から同所

 ▼喪主

 妻伊藤慶子(けいこ)さん