直木賞作家で、阪神ファンとしても知られ、テレビでも活躍した藤本義一さんが30日午後10時18分、兵庫県西宮市の兵庫医大病院で、肺炎のため79歳で亡くなった。一夜明けた31日、遺体は西宮市の公益社西宮山手会館に安置された。遺族によると、藤本さんは9月下旬から入院生活を続けていたが、病床でもペンを握るなど、作家としての生きざまを貫いていた。歌手桑名正博さん(享年59)に続いて大阪、関西の象徴が亡くなり、関係者、ファンは悲しみに暮れた。

 関西の反骨を愛した浪花のご意見番は、最後までペンを握っていた。長女中田有子さん(51)によると、昨年4月、中皮腫に肺炎を併発し、兵庫県内の病院に入院。その後、同年夏ごろには脳梗塞を患った。この時は比較的症状は軽く、後遺症などは残らなかったものの、退院後に体力が低下。「しんどいと言い、寝る時間が増えていった」という。

 食事が細り、トイレも統紀子夫人(77)が手伝う機会が増えた。9月下旬、トイレ内で立ち上がろうとした際に倒れ、そのまま入院。当初は「おれ、どないなってんねん」と口にしていたが、誤嚥(ごえん)性肺炎のため、固形物どころか、飲み物すら直接摂取できない状況が続いたという。酸素吸入マスクを着け、点滴で栄養補給を受けたものの、次第に衰弱。夫人らが「体に負担をかけるような治療はやめよう」と話し合い、積極的な投薬治療はやめた。

 有子さんによれば、最後の入院中は「1度だけちょっと元気なときに、車いすに乗せて隣の病棟まで行ったことがあった」そうで、そのとき、有子さんが「早く家に帰りたいね」と話すと、うなずいたという。

 だが、次第にほぼ眠ったままの日が増え、会話も「なかなか言葉にならない」状態に。それでも、藤本さんは、紙とペンを持ってくるよう指示し「お見舞いに来る人は、おれの心情を察してくれ」と記したという。その後も、言葉にならない言葉を発する中、何度かペンを握り、紙に文字を書こうとし、ペンへの意欲は衰えることはなかった。

 30日朝になり、様子がおかしいと、病院から親族に連絡が入り、統紀子夫人らが駆けつけた。その際は、眠っているようだったが、同日夜、親族に見守られ、息を引き取った。

 統紀子夫人はこの日、いったん自宅へ戻り、仮眠。自宅前で取材に応じ「本当は密葬で、家族だけで送りたかったけど、でも、みんなに愛された人だから、ちゃんと送ってあげたい」と明かした。通夜、葬儀・告別式の葬儀委員長はイラストレーターの成瀬国晴氏が務める。

 ◆藤本義一(ふじもと・ぎいち)1933年(昭8)1月26日、堺市生まれ。本名の読みはよしかず。大阪を舞台にした作品を書き、エッセーも数多い日本の小説家、放送作家。74年に「鬼の詩」で、直木賞受賞。日本放送作家協会関西支部長であり、プロ作家を育成する心斎橋大学総長も務めた。読売テレビ「11PM」で、司会も担当した。夫人はタレントの藤本統紀子。