映画やドラマの名脇役として活躍した俳優夏八木勲(なつやぎ・いさお、本名同じ)さんが11日午後3時22分、膵臓(すいぞう)がんのため神奈川県鎌倉市の自宅で亡くなった。73歳。一夜明けた12日、関係者が自宅前で取材に応じ、余命を悟りながらも長期入院はせず、ゴールデンウイーク前も新作の衣装合わせをするなど、俳優として生き抜いたことを明かした。葬儀・告別式は、故人の意向で家族だけの密葬で行われる。喪主は、まり子夫人。

 生涯俳優を象徴するような死に際だった。容体が急変したのは9日。昨秋に見つかった膵臓がんの痛みと闘いながら、直前まで、出演が決まっていた2作品の話をしていたという。しかし、回復することなく11日、まり子夫人、長女にみとられ、静かに息を引き取った。ゴールデンウイーク前には、都内の撮影所に衣装合わせに出掛けるなどしていたといい、急な別れに、ショックを抱えたまり子夫人は遺体に寄り添い、憔悴(しょうすい)しきった様子だという。

 夏八木さんは、がんを告知されながらも、自宅での療養を中心に、調子が悪ければ短期間入院するという治療を選択していた。夏八木さんが、昨年主演を務めた原発事故を題材にした映画「希望の国」でプロデューサーを務めた国実(くにざね)瑞恵氏は、自宅前で取材に応じ「仕事が大好きだった方。家族も任せていました」と明かした。今年も、出演映画5作が公開される予定だった。新作の撮影も控え、「台本もあがり、近日中に予定していた撮影に向け、意欲的でした」という。

 最後の演技は、昨年10~12月に放送されたフジテレビ系ドラマ「ゴーイング

 マイ

 ホーム」最終回の収録で、夏八木さん演じる父親の葬儀のシーンなどを演じた。「体調を崩して、病院に行きながらもこなしていました。闘病中も『苦しい』とは一言も言わなかった」(国実氏)。

 66年、映画「骨までしゃぶる」でデビューした。ドラマ、映画合わせて出演作は300本以上。現代劇、時代劇のジャンルを問わず幅広い役柄を演じ、映画界では欠かせない貴重な存在だった。

 プライベートでは、長く居住していた鎌倉を深く愛していた。自宅は、深緑色の洋風住宅。近隣住民によると、約10年前、バス路線整備の話が持ち上がった際には、反対派の住民を集めるなどして強く反対を訴えた。閑静な住宅街の雰囲気を守るためだった。「希望の国」の撮影地、埼玉県深谷市までは鎌倉から2時間以上かけて電車で通勤。仕事も私生活も信念を曲げない人だった。

 ◆夏八木勲(なつやぎ・いさお)本名同じ。1939年(昭14)12月25日、東京都生まれ。慶大文学部仏文科在学中の60年に文学座付属演劇研究所に入所。その後、慶大を中退し、63年に俳優座養成所入所。「花の15期生」に。66年卒業後、東映と契約して「骨までしゃぶる」で映画デビュー。同年、「牙狼之介」で主演。74年、NHK連続テレビ小説「鳩子の海」で注目を集め、映画「野性の証明」「戦国自衛隊」では野性味ある演技を披露。昨年公開の主演映画「希望の国」では、芸術選奨文部科学大臣賞映画部門を受賞した。