タモリ(68)が司会を務めるフジテレビ系バラエティー「笑っていいとも!」(月~金曜正午)が、来年3月いっぱいで終了することが22日、番組内で電撃発表された。

 「笑っていいとも!」生みの親で、2年前に死去した元フジテレビプロデューサー横沢彪さんに21年前、「お笑い三国志」という聞き語り連載をした際、番組誕生前後の秘話を聞いた。

 「笑っている場合ですよ!」の後継番組に「笑っていいとも!」の企画が持ち上がった時、賛成したスタッフは4人だけだった。「夜のイメージが強く、昼の番組でいいことなかったタモリさんも当初やりたくないと言い、スタート後も『3カ月でやめる。それ以上は絶対にやらないからね』と言っていた。こんなに続くなんて夢のようだ」と話した。

 放送開始から2カ月後、手ごたえを得る出来事があった。スタッフとの飲み会でタモリと新宿・歌舞伎町を歩いていた時、酔ったサラリーマン集団に遭遇。1人が「課長、もう1軒行ってもいいかな?」と聞くと課長がやけ気味に「いいともー」と叫んだ。タモリは立ち止まり横目で「ン?」という感じで横沢さんを見詰めたという。「それだけ世間で流行しているってことは人気があるわけだと納得した顔になった」。そのうちに「出して、いいとも!」の垂れ幕がパチンコ店に、学校で先生が「教科書開いてくれるかな?」と言うと生徒全員で「いいとも!」。流行語になった。タモリも「やめる」と2度と言わなくなった。

 「いいとも!」のフレーズが生まれたきっかけは飲み屋での会話だった。横沢さんが飲んでいる時、客が店に入るなり「ママ焼きそば、ちょうだい」と注文。「売り切れなの。焼きうどんならあるけど、焼きうどんでいい?」と言われ、客は店中に響く声で「いいとも!」と言った。「いいとも?」。横沢さんの頭の中に強く印象に残り番組名になった。

 多くの人気コーナーが生まれたが、タモリは企画作りに一切かかわらず、実際にやってみて意見や感想を言うだけだったという。「テレフォンショッキング」も日替わり企画だけでなく1週間の帯企画があった方がいいと始めた。そこから人気コピーも生まれた。

 坂本龍一の出演時、日本航空の話となり「あのツルのマークって輪になっているでしょ」と坂本が言いながら、当時の日航のマークを表現するためツルの羽の格好をした。「あれは『世界に広げよう、友達の輪』という意味なんだ」との説明に、タモリは「それは知らなかった。『世界に広げよう、友達の輪』」とまねした途端、会場から「輪!」の声が起こった。この反応にタモリはのった。「小さい輪でやってみるぞ。友達の友達は皆友達だ。世界に広げよう、友達の輪!」に会場は「輪!」と唱和。横沢さんは「それから毎日両手で丸をつくって言うようになり、ますます人気になった」。小さなきっかけの積み重ねが長寿番組を支えていた。【林尚之】