「現代のベートーベン」と称された作曲家佐村河内(さむらごうち)守氏(50)の妻の母が、「娘は早く離婚してほしい」と涙ながらに訴えた。同氏のゴーストライター問題を明かした桐朋学園大・新垣(にいがき)隆講師(43)の会見から一夜明けた7日、広島市内で日刊スポーツの取材に応じた。2人と16年間音信不通であることを告白し、同氏の自己中心的な結婚生活や、過去の「ウソつき」エピソードなども明かした。

 佐村河内氏の義母にあたる、妻の母が涙した。「早く離婚して、私が生きている間に広島に戻ってきてほしい。心配で死んでしまいそうじゃけん。いつ娘が帰ってきてもいいよう、畳の部屋を洋間にしたんです」。

 義母によると、妻は同氏より3歳年上。88年に結婚し、広島から横浜のワンルームマンションに転居した。その後同氏がアルバイトを転々としたり、ロックバンド活動をしているかたわら、妻は子ども服店で働き生計を担った。衝撃事実が明らかになったのは、結婚8年目にハワイ家族旅行に行った時だった。

 「娘に『正直に言って。守は結婚後の7年間でいくら稼いだの』と聞いたら、『20万円です』と。がくぜんとした。娘は過労で点滴を打ちながら働いていたこともあるのに、自分は毎日飲んで、遊びほうけて…」

 同氏への不信感は、昔から芽生えていた。妻には同氏と同じ年の弟がいた。妻と同団地に住んでいた同氏は高校生時代「○○君(妻の弟の名)の友達です。××さん(妻の名)いらっしゃいますか」と突然妻の家を訪ねてきた。後に弟に同氏について尋ねると「そんなやつ知らない」と答えたという。うそをつき妻に接近した可能性があった。

 同氏は結婚直後の88年ごろ、一時芸能プロに所属していたこともあったという。「当時『広島から来た第2の矢沢永吉』みたいに報じられていた。でも通勤途中に自分の不注意でジーパンが破れたら、会社にお金と代わりのジーパンを請求していたみたい。やはりあの子はおかしいと思った」。

 同氏が書き、新垣氏に提示していたという18万枚のヒット曲「交響曲1番

 HIROSHIMA」の「指示書」についても「テレビで紙を見てびっくりした。あれは娘の字です」と妻が書いたものと主張した。

 娘である妻とは、16年前に親族の葬式で会ったきり連絡がとれない。連絡先も分からない。「15年前、知人から『彼は今、耳が聞こえない』と聞いた時、またうそをつき人をだまそうとしているんだと直感した。守の家にはピアノはなかったし曲を作れる子でもなかった。違う人が作っていると確信していた。いつかバレると思っていた。新垣さんには感謝しています。勇気のいることだったと思う。会ってお礼を言いたい」。

 母は再度、涙にくれた。「娘も詐欺罪になってしまうのでしょうか…。守は『自殺する』って言っているらしいけど、娘まで巻き込まないでほしい。帰ってきてほしい…」。【横山慧】