NHK籾井勝人会長(71)が1月の就任から半年たち28日、都内の同局で日刊スポーツなどのインタビューに応じた。就任会見では、政治的中立性が危ぶまれる発言が問題となり苦労したが、会長就任を後悔していないという。当時の心境を逃げてはいけないと思っていたと明かした。政治との距離には「心配ご無用」。2人の娘を持つ父としての素顔も明かした。

 三井物産、日本ユニシスなどで要職に就いていた籾井氏が、そもそもなぜ、NHKの会長の職を引き受けようと思ったのか。

 「70歳を過ぎて世の中の役に立つならと。割に合わないと言われたこともあったが、何が割に合わないかも分かっていなかった。給料が安いのは分かっていたが、それはおまけみたいなもの。大事なこととは思わなかった。男意気に感じてというようなもの」

 領土問題や従軍慰安婦についての発言が問題視された就任会見から半年。今、就任を後悔しているのか。

 「全く後悔はしていません。(就任会見をめぐる出来事は)暗闇で鼻をつままれたような感じでした。でも、会長はどういうことを頭に入れていないといけないのかを教えていただきました。良かったとは言いませんが1つの経験。70歳を超えて新しい経験ができ、ある意味、男冥利(みょうり)に尽きる」

 幼い頃から「おっちょこちょいで一言多かった。ワン

 ワード

 モア」と語るが、問題の就任会見後はどんな胸中だったのか。

 「常に意識したのは、逃げてはいけない。自分も納得できない。逃げないと心がけていた」

 政治との距離が問題視される。

 「政府と何かやっているとすればNHKはもたない。心配ご無用。それ見出しにどうですか」

 大河ドラマの秀吉が使う名ぜりふを引用して笑わせるが、政治と距離の問題では言い足りないようだ。

 「なぜ僕と政府が近いと書きたがるのかよく分からない。ただ(安倍晋三首相と)国会で顔見知りになりましたが。それまであんな偉い方を知りませんでした」

 一方、取材では会長とは違う素顔も明かした。すでに成人し、結婚もしている2人の娘の父親だ。

 「娘が中学、高校時代は必ず朝6時20分に起きて、朝ご飯を一緒に食べて、駅まで車で送って行って、帰って来てもう1回眠る生活をずっとやっていました」

 今でも月に1度は家族が集まって食事をともにする仲良しぶり。

 「絶対に娘は商社マンと結婚させないと思っていました。自分の生活を見て、夜中2時、3時まで帰って来ない。年中出張。そんな夫に嫁いで娘が幸せになるかと思ってましたから」

 プロ野球は巨人ファン。手を抜いたり、しまりのない選手は嫌いとし、原辰徳監督は、厳しいところは厳しくメリハリがきいていると評価。監督と会長との共通点は「公平」とし、人事も公平にやると語った。【中野由喜】

 ◆籾井勝人(もみい・かつと)1943年(昭18)福岡県生まれ。九州大卒業後、65年に三井物産入社。同社では鉄鋼関連の業務を担当。02年には米三井物産社長に就任。その後、本社に戻り、04年同社副社長に。05年に日本ユニシスに移り、11年6月まで社長を務め、13年6月から特別顧問に。14年1月25日付で、第21代NHK会長に就任。任期は3年。座右の銘は蓋棺事定(がいかんじてい)。血液型B。