女優宮沢りえ(41)の実母、宮沢光子さんが23日、肝腫瘍のため死去した。65歳だった。りえの所属事務所が24日、公表した。

 光子さんは、肝腫瘍の診断を受けたが、本人の意思により、自宅で療養していたという。通夜と葬儀・告別式は近親者だけですませたという。りえは、所属事務所を通じて「最期に、生きるということの美しさと、すさまじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントした。りえは現在、東京・渋谷で上演中の舞台「火のようにさみしい姉がいて」に出演中で、光子さんが亡くなった23日も出演していた。

 「りえママ」と呼ばれるステージママだった。仕事で知り合った芸能関係者に小学生だったりえを紹介。りえは11歳でモデルデビューした。87年に15歳の時に出演した三井のリハウスCMで大ブレーク。光子さんは、90年にりえを所属事務所から独立させ、新事務所を設立。仕事場に必ず同伴するようになり、敏腕プロデューサーとして知られるようになった。

 トップアイドルだった16歳のりえを、過激なふんどしルックでカレンダーに起用して世間を驚かせた。その2年後の91年に、写真家篠山紀信氏の撮影によるヌード写真集「サンタフェ」を発表したが、仕掛け人は光子さんだった。

 りえの私生活も支えた。93年に大相撲の貴花田(現在の貴乃花親方)との婚約を解消後、取材攻勢を受けるりえをかばい続けた。騒動から逃れるために一時、米国に移住させたのも光子さんのアイデアだった。

 活動休止状態だったりえが、00年ごろから女優として本格復帰すると、公私にわたって面倒をみるステージママを卒業。りえの自立を促すため、その後、住まいをパリに移し、距離を置いて見守るようになった。りえは02年の日刊スポーツのインタビューで「とにかく強い人。敬愛しています」と話していた。