ロックバンド、キャロルの元メンバーで、肺がんで闘病中だった歌手ジョニー大倉さん(本名・大倉洋一)が、19日午後5時56分に肺炎で東京・広尾の日本赤十字社医療センターで亡くなっていたことが27日、分かった。62歳だった。故人の遺志で葬儀などは近親者で済ませた。後日、お別れの会を開く予定。

 あの澄んだ高音は、よみがえらなかった。昨年6月、「肺がんで余命2週間」と告知されてから約1年5カ月。ロックンロール魂で立ち向かった大倉さんの闘いは、ついに終わった。

 大倉さんは、1972年(昭47)6月に矢沢永吉(65)ら4人でキャロルを結成した。バンドは、リーゼントに革ジャンスタイルでブームを巻き起こし、大倉さんは作曲の矢沢とともに、作詞を担当してバンドをけん引。日本語と英語の混じった歌詞は、その後にサザンオールスターズ、ハウンドドッグ、チェッカーズらが続く「日本語によるロック」の礎を築いた。だが、音楽性の違いから、矢沢とたもとを分かち、75年4月13日、伝説の東京・日比谷野音でのコンサートを最後にキャロルを解散した。

 解散後、大倉さんはソロとしての歌手活動と並行して、俳優としても活動した。81年には映画「遠雷」で日本アカデミー賞優秀助演男優賞を獲得するなど、繊細な個性派として、高い評価を受けていた。

 私生活では、87年に富山のホテルのベランダで懸垂中に転落し、全治6カ月の重傷。09年に悪性リンパ腫の治療を行ったことを公表するなどし、60歳で「余命2週間」を告知された。その後、抗がん剤治療を受けて奇跡的に回復。今年2月には病院を抜け出して長男のケンイチ大倉(42)が出演した舞台「短き不在」の千秋楽公演を観劇。3月に退院してリハビリを続け、4月13日に東京・銀座のライブハウス「タクト」で約1年ぶりのステージに立った。その際、「死のふちから戻ってきました」とあいさつし、アコースティックギターを弾きながら、自身が作詞した「ファンキー・モンキー・ベイビー」など7曲を歌い上げた。そして、「これからもロックンロール、歌い続けます」と涙を見せながら誓った。

 だが、がんは再発した。8月に入院して抗がん剤治療を再開。9月6日に予定されていたバースデーライブでは、入院中の病院で開いた誕生パーティーのビデオ映像を公開した。車いすに酸素ボンベ、かつらをつけた姿でケーキを食べて「この会は復帰への礎」とコメント。抗がん剤治療を続けて、来年のデビュー40周年へ向けて年内の退院を目指していた。最期まで闘い抜いた生涯だった。

 ◆ジョニー大倉(おおくら)1952年(昭27)9月3日、川崎市生まれ。家族は妻と2男1女。長男ケンイチ大倉(42)と次男大倉弘也(35)も俳優、ミュージシャンとして活動。173センチ、78キロ。血液型B。

 ◆キャロル

 72年6月、矢沢永吉(ボーカル、ベース)ジョニー大倉(ボーカル、ギター)内海利勝(リードギター)ユウ岡崎(ドラムス)の4人で結成。同12月メジャーデビュー。解散ライブで特殊効果の火がセットに燃え移り、電飾が焼け落ちたが、これを演出と思った観客も多かったという。