4人組ロックバンド、シーナ&ロケッツのボーカルのシーナさん(本名・鮎川悦子=あゆかわ・えつこ)が14日午前4時47分、子宮頸(けい)がんのため、都内の病院で亡くなった。61歳。北九州市出身。昨年夏に末期の子宮頸がんと診断されていた。葬儀は近親者による密葬で行い、後日、お別れの会を開催予定。

 所属事務所などによると、シーナさんが体調不良を訴えたのは昨夏だった。7月にラジオ出演を、8月には北海道公演の出演を見合わせた。この時には、末期の子宮頸がんと診断されていたという。9月13日には東京・日比谷野音で行われたシナロケの35周年ライブに出演。ファンにはいつも通りの元気な姿とパワフルなボーカルを見せていた。「治療よりもライブで歌いたい」というシーナさんの意向を優先したという。

 だが、11月のライブでは足が動かなくなり、いすに座ったまま歌唱。12月10日には脊髄への転移が発覚した。足がしびれて歩行が難しくなり、脊髄腫瘍を取り除く手術を実施した。正月には自宅に戻って家族水入らずの時を過ごしたが、再入院。そしてこの日、シナロケの音楽の流れる病室で、夫でギタリスト鮎川誠(66)ら家族が手を握って見守る中、静かに息を引き取ったという。バレンタインデーの旅立ちになった。

 深夜になり、鮎川が万感を込めてコメントを発表した。

 「シーナはロックが大好きなファンに愛されてとても幸せでした。(35周年記念のアルバム)『ROKKET

 RIDE』を聞きながら息を引き取った。最高のレコードを作ったことと最高の歌を歌ってくれてありがとうと、シーナへ叫んだ。2人の愛は永遠だぜ」

 シーナさんは、71年に九州大の学生だった鮎川と出会って交際。4年間の同居生活を経て75年に結婚し、双子を出産した。78年に鮎川らとバンドを結成し、「涙のハイウェイ」でデビュー。しゃがれたパワフル声が持ち味で、79年に「ユー・メイ・ドリーム」がJALのテレビCMに起用されてブレーク。他に「レモンティー」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」などをヒットさせた。

 網タイツにミニスカートをトレードマークに、激しくシャウトし続けたシーナさん。女性ロックボーカリストの先駆者として、多くのファンに鮮烈な記憶を残した。

 ◆シーナ

 本名・鮎川悦子。1953年(昭28)11月23日、北九州市生まれ。71年にギタリスト鮎川誠と出会い、妊娠を機に結婚。75年に双子を出産後、78年に鮎川らと上京し、シーナ&ロケッツを結成。細身の体に似合わぬパワフルなボーカルで知られた。79年には、「ユー・メイ・ドリーム」がJALのテレビCMに起用されてブレークした。モデルとしても活躍。鮎川の間には、3人の娘をもうけ、昨年に次女が第1子を出産。夫婦で孫をかわいがっていたという。