自民党の中川俊直衆院議員(46)が、「週刊新潮」に妻以外との不倫交際トラブルを報じられた。これまで女性スキャンダルを報じられた政治家は多い。報道内容に関して、個人的には「国会議員として論外」と感じたが、それ以上に「論外」なのが、説明、釈明のやり方だ。

 中川氏は、今回の問題を説明するためのすべての機会に、フェイスブックを使っている。不倫報道の釈明に使われている画面は、フェイスブック仕様のままなので、真正面を見据えた「笑顔」の写真が、そのまま掲載されている。ミスマッチすぎて、なんとも、間の抜けた雰囲気を醸し出している。

 インターネット選挙の解禁もあり、ツイッターやフェイスブックなどSNSを使った発信は、国会議員にも当たり前になってきた。ネットで議員の名前を検索すれば、さまざまな活動を確認することができるのは、確かにとても便利だと思う。

 でも、フェイスブックを使ってスキャンダルの言い訳をするのは、あまりにもお手軽ではないか。中川氏は、政務官を辞任する際のあいさつも、フェイスブック上だった。記者会見を開けば、矢のような追及を受けるところだろうが、フェイスブックなら、そんな必要もない。自分の言いたいことを記して、ボタンを押せば、自らの主張がネットを通じて拡大するからだ。

 ただ、残念ながら、文字は人間の感情を表すことはできない。謝罪や釈明の言葉をいくら書き連ねても、読む側の気持ちに、刺さってこないのだ。

 まったくシチュエーションは違うが、築地市場の豊洲移転問題を検証する都議会の百条委員会が行われた際、石原慎太郎元都知事の側近、浜渦武生元副知事の「強権」ぶりを証言した証人がいた。例え話の1つとして、「わび状の書き方が気に入らないと、突き返された局長もいた」と紹介した。これに対し、今月10日に記者会見した浜渦氏は、「部長さんに始末書を書いてもらった時、名前までパソコン(のワープロ書きで)で書いてきた」と振り返り、名前くらいは自筆で書くよう求めたとし、「けしからん」との認識を示した。個人的に、この点は浜渦氏の主張に同感だった。

 今回、中川氏がフェイスブック上につづったのは謝罪であっても、あくまでも「謝罪文」でしかない。反論しても否定しても、その理由が分からなければ、説得力も生まれないと思う。

 安倍晋三首相の昭恵夫人も、森友学園問題に関しての反論や説明をフェイスブックで行い、批判を受けた。夫人には今も、会見を開くよう求める声が強い。中川氏に対しても、同様の声が出てくるだろう。

 インターネットは、発信する手段としてはとても便利だ。でも、本人の「息遣い」が伝わってこない説明や謝罪ほど意味のないものはない、と思うのだが。