豊洲市場の移転問題に関する東京都議会の調査特別委員会(百条委員会)での浜渦武生氏のやりとり詳報は次の通り。

 -築地市場の移転先にガス工場跡地を選んだのはなぜか

 副知事就任前の特別秘書時代から、豊洲移転は都政のテーマだった。私が担当したのは、市場を豊洲に移すから用地買収の交渉をしろということだった。どこが良いとか悪いという判断の権限は私にはなかった。

 -東京ガス側に水面下交渉を打診した経緯は。この間、都も東ガスも記録が圧倒的に不足している

 水面下という言葉は東ガスの方から提案があったので、それに応じて丁寧に作業しようと考えた。東ガスから「豊洲の整備開発計画を進め、株主らにも話していたのに、都が突然、市場を造るから協力しろと言ってももたない」と伝えられた。交渉は先方のご意向を忖度(そんたく)しないとうまくいかないので、私は「水面下、結構です」と申し上げた。(株主対策などのため)個別に事務折衝しようという趣旨で、悪い言葉とは思っていない。ものすごくこの事業を推進した単語だと思っている。水面下という単語を誤解してはいけない。交渉は全部オープンになったらうまくいくという話ではない。実務のことは私から担当者に指示していたが、個別にいちいちの報告は受けていない。

 -東ガスが提出した資料に、土壌汚染について知事が安全宣言することを条件に早期決着を迫ったとする折衝メモがあるが

 私は承知していない。知事が安全宣言なんてできるはずがない。東ガスに対する政治的圧力もなかった。

 -土壌汚染対策費の大半を東京都が負担することになった経緯は。2001年7月の東ガスとの基本合意の裏で、水面下で結んだとみられる「確認書」も見つかっており、密約のような合意があったのではないか

 私の担当は用地取得の基本合意までで、その後の(土壌汚染対策や費用分担の)交渉は一切携わっていない。担当を外れて以降は知事本局(当時)に全てを預けた。私への報告はなく、合意については全く知らない。勝手なことをしてくれた、不届きな話だ。そのほかのことはそういうことをした人に聞いてほしい。06年に東京都参与に就任して以降も、国とそのほか関係機関の連絡調整であり、豊洲移転問題はそれに入っていない。

 -土壌汚染について

 土壌汚染があるのは承知していた。現地に視察に行き、どのあたりが汚い、どのような物が残っているのか説明を受けた。ただ、東ガス側が分かっているだろうと。調査し、きれいにするのは東ガスの責任だと申し上げた。能力的に東京都では対策はできない。地下の埋設物や汚染を整理しないと土地は買わない、それを行わないなら工事費は(購入価格から)差し引くと東ガス側に伝えた。東ガスも十分に承知していた。汚いものを買うわけにはいかない。

 -担当者になった経緯や、石原慎太郎知事(当時)とのやりとりはどうだったのか

 石原知事から交渉が難航していたので「豊洲の交渉は役人には無理だ。おまえがやれ。市場移転までの交渉をやれ」と言われ担当になった。豊洲の対策について時間を取って報告したようなことはない。ただ基本合意は間もなくできますよ、こういう話はした。

 東ガスにあいさつに行ったとき、東ガスの役員が顔を真っ赤にして「東京都はうそつきだ、いいかげんなことを言うな」と抗議をしていた。えらく怒っていて、この調子でやっていたのでは前に進まないと。都の担当者を交渉から外し、東京ガスの担当者の個人情報をよく調査して人間関係を築いた。交渉ごとは文言だけでも文書だけでもない。

 -食の安全について軽く見ているのではないか

 私は大きな流れの指示をした。交渉するのに担当者でやっているので、そこでどういう話がなされたか承知していない。責任はみんなで共有しないといけない。

 -豊洲市場への思いは

 もともとの発端は、築地の市場が老朽化して危ない、汚いというのがあった。土壌も築地の方がよっぽど汚いが、どうしましょうと。都の職員の多くが、早く移転してほしいという意思があった。多くの方が苦労して堅固な建物を造った。豊洲はよくやったから使えばいい。築地はもっと危ないのではないか。

 -混乱を招いた責任を感じないか

 みなさんはそれぞれストーリーを持っていて、それに合わせてお尋ねになるが、私は知っていることしか言えない。当時はよくぞ東ガスとの交渉をまとめたと称賛された。どこに責任があるのか。(共同)