広島で自ら被爆し、被爆者の治療を続けてきた医師で、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)顧問の肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)氏が20日午前8時2分に死去した。100歳。広島市出身。

 1945年8月6日の原爆投下当時、軍医として広島に赴任しており、爆心地の北約6キロ地点にいた。その直後に市内へ入り、焼けただれさまよう人らを救助するとともに、治療に当たった。

 その後も、白血病などの後遺症に苦しむ被爆者たちにも寄り添い続けたほか、内部被ばくによって体がだるくなる症状を「ぶらぶら病」と呼んで危険性を指摘した。

 「広島と長崎は今も生き地獄を見せて世界に警告している。真実を伝えるのが被爆者の使命だ」として、75年に初めて原爆を投下した米国を訪問。89年までの15年間で30カ国以上、150都市以上を「草の根の反核語り部」として駆け巡り、原爆の悲惨さを訴えた。

 原爆症認定訴訟では原爆投下後に広島、長崎市内に入った被爆者について、残留放射能やほこりを吸い、体内に入る放射性物質による内部被ばくの影響について証言をした。

 2011年に発生した東日本大震災による東京電力福島第1原発事故でも、内部被ばくの脅威を訴えた。13年にも都内で脱原発を求める集会に参加するなど、被爆者治療の傍ら、核廃絶を求める発言を続けた。

 生前の肥田氏への取材によると、広島で生まれた後、間もなくして大分へ移り、軍医となって再び広島へ戻って被爆したという。(共同)