広島カープが旧広島市民球場からマツダスタジアムへ本拠地を移転して7年。今季は25年ぶりにリーグ優勝を果たし、今日12日からクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージで、DeNAと日本シリーズ出場権を懸けて戦う。旧広島市民球場の管理事務所長だった竹本久男さん(69)も32年ぶりの日本一を願う1人。当時は空席が目立ったがファン目線を大切にし、その伝統がカープの繁栄につながっている。

 ライトスタンドの一部が残る旧広島市民球場跡地を背に、カープのリーグ優勝記念碑が並ぶ勝鯉(しょうり)の森がある。竹本さんは「ここに今年の優勝が追加される。田舎球団と言われたのが、今やチケットも取れないほどの人気球団になった」と笑顔で話した。

 竹本さんは6歳から初代本拠地・広島総合球場で観戦したというカープ一筋。1975年(昭50)の初のリーグ優勝では、広島市広報課職員として優勝セレモニーなどを取材していた。希望がかない、2代目の本拠地として親しまれた旧広島市民球場の管理事務所長に着任したのは、マツダスタジアムへの移転を3年後に控えた06年だった。

 当時の年間入場者数は現在の半数以下の約100万人だった。「あと3年ではなく、まだ3年もある。市民のためにも、カープのためにも観客数を増やさなければ」。球場を楽しんでもらうために職員と一緒に知恵を絞った。旧広島市民球場の廊下の壁に書いてもらった選手とスタッフのサインや、球場入り口に飾られた他球団の監督のサイン、グラウンドと同じく緑地に白の動線を描いた廊下、誰にでも見られる位置に移動した故津田恒実氏のプレート。費用があまりかからない工夫で、好評を得て08年には約2000人の球場見学者が訪れた。

 球場全体の写真を撮る人も多くなり、球場がなくなると毎日のように実感した。「部下に恵まれて楽しく仕事をしていたけど、最後は寂しかったですよ。でも新球場をすごく楽しみにしていました」。そのファン目線を大事する精神が今季、球団新記録となる観客動員215万7331人の達成へとつながった。

 旧広島市民球場からマツダスタジアムへの移転を見届けてから7年。竹本さんはテレビ越しにリーグ優勝を見た。「うれしいの一言。マツダスタジアムは行くだけで楽しめる。カープにはあの最高の球場で日本一になってほしい」。陰ながら支えた元所長として32年ぶりの日本一になることを楽しみにしている。【中島万季】