「おーう、しばらくぅ」。福島県大熊町大川原の坂下ダム。白い防護服姿の男性が2人、軽トラックで現れた。荷台には、サツキの株が山積みに。「今日は植木屋さんですか」とあいさつすると、元大熊町総務課長の鈴木久友さん(64)は笑って「花咲かじじい部隊だ」と言った。1株数十キロありそうな植木を肩に担ぎ、ダムの斜面を下りる。「植え込みに枯れてんのあっから植え替えんだ」。

 大熊町の退職した役場職員や友人ら6人で結成したじじい部隊は健在だ。役場の現地連絡事務所に通い、町を見回る。「今は梅、桜の後にサツキ。その後にアジサイ、紅葉だな」。大川原地区には東京電力の独身寮もできた。一時帰宅の町民をがっかりさせないように。新たな町民には町の美しさを知ってほしい。だから泥仕事もがんばれる。

 町の多くは帰還困難区域。信号は黄色の点滅になり、道路脇の家々の前にはバリケードが置かれている。楢葉町のJヴィレッジにも立ち寄ったが、ピッチにプレハブがあり、車が並ぶ。

 沿岸部に戻り、広野町を通っていわき市に入る。公園で遊ぶ子どもが目に入るようになってきた。最後に、津波で115人が犠牲になった薄磯地区に向かった。塩屋埼灯台を臨む民宿鈴亀の鈴木幸長さん(64)を訪ねた。薄磯は、放射性物質検査で安全性が確認され、今年の夏、7年ぶりに海水浴場が再開する。鈴木さんは「海水浴も地魚も福島というだけで風評被害があるが、最初は震災前の半分ほどでもいい。お客さんが来てくれて楽しんでくれれば」と夏を待つ。

 「後で浜に下りてみな。うんと、いいとこなんだ」。防潮堤を越え、薄磯の人たちが守ってきた浜に出た。塩屋埼灯台まで、足跡1つ無い白い砂浜が広がっていた。1歩踏み出すと「キュッ」と音がした。きれいな砂でなければ音が出なくなる「鳴き砂」だ。

 未曽有の災害は、まだ続いている。それでも、沿岸で出会った人たちは、前を向いている。【清水優】(おわり)