2020年東京五輪で自転車ロードレースのゴール地点に検討されているサーキット・富士スピードウェイ(静岡県小山町)を舞台に、もう1つの「五輪挑戦」があった。ルマン24時間耐久レースで95年、日本人初優勝を果たした関谷正徳氏(67)が「モータースポーツを五輪競技に」と壮大な夢を掲げ奮闘中。マシンを同条件にし、運転技術だけで競う女子大会を今月13、14日に世界初開催。関谷氏は「同条件マシン」の大会を男女共に主催することに成功し、自動車競技の未来を変えるスタートに立った。

 世界初の女性プロシリーズは直線を時速200キロ超で駆け抜ける。コーナリングも男子顔負けのデッドヒート。そんな新レースが今月、富士スピードウェイで始まった。

 国内最高峰の自動車レース「スーパーGT」のトムスチームで監督も務める関谷氏。自身も元トップドライバーだがその第一人者がモータースポーツの現状に「『スポーツ』として認識されていない」と危機感を感じていた。

 そこで13年、同条件マシンの男子プロレース「インタープロトシリーズ」を発足。今回、女子も加わった。男女混合が当たり前の自動車界だったが、サッカー、ゴルフ、バレーボールなど一般的な競技同様、男女を区別した。

 「ドライバーもトップアスリート。鍛えないと猛スピードの重力にやられる。本来、自動車レースでも性差はあり、女性はなかなか勝てなかった」

 関谷氏はホンダの創業者、故本田宗一郎氏の「レースは走る実験室」という名言を引き合いに、ドライバー比重の軽さ是正を訴えた。「例えばエンジン、空力、ボディー、タイヤの開発にはそれぞれ50億円。一方のドライバーには1000万円ほど」と、投資額の差がある。レースとは「自動車メーカーの技術競争」だったからだ。

 現状を変えるため関谷氏は「KURUMA」と呼ぶ統一車種を造り「インタープロト」を開催。最速245キロで1台2700万円の同条件車が現在12台ある。「競争女子」には300万円の同条件車が13台ある。

 「スーパーGT」で過去4度、年間王者に輝いたロニー・クインタレッリ(37=イタリア)も、14年から「インタープロト」に参戦。国内トップ選手が参戦した理由について「スーパーGTはメーカーの勝負。こちらはドライバーがメインで面白いと思った」。

 関谷氏は「五輪でもできるモータースポーツ、という考え方。選手の技術に目を向けてほしい。いつか必ずトヨタ、日産などのメーカーの枠を超えた競技にしたい。魅力は野球、サッカーに負けない自信がある」と熱く語った。

 さらに「今は車の技術競争ばかりだから人気がない。セナ、マンセル、プロストがいたF1はドライバーの競争だったから人気があった。やはりスポーツは『人』なんです」と続けた。

 現在の五輪に原動機が付いた競技はないが、1908年ロンドン五輪ではモーターボートがあった。現状、国際オリンピック委員会を自動車関連会社がスポンサーとして支えており、親和性は高い。革命はまさに、日本から起きようとしている。【三須一紀】

 ◆関谷正徳(せきや・まさのり)1949年(昭24)11月27日、静岡県生まれ。71年に富士500キロレースでデビュー。ルマン24時間で95年にマクラーレン車で日本人として初の総合優勝。国内では94年に全日本ツーリングカー選手権で初代王者、95年に鈴鹿1000キロ耐久を制した。00年に引退。