東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市立大川小の児童23人の遺族が、市と県に損害賠償を求めた訴訟の控訴審が23日、仙台高裁(小川浩裁判長)で結審した。判決は4月26日。裁判所が双方に和解の意思を尋ねたが、遺族側が応じなかった。

 当時小学4年生だった巴那(はな)さんが行方不明で、小6だった堅登くんを亡くした鈴木実穂さんは、意見陳述で子どもたちの思いを代弁した。

 「お父さん。お母さんも仕事で迎えに来られないのは分かっていたから、先生の言うことを聞いて(校庭で)じっと待っていました。おりこうにしていれば絶対大丈夫だと思っていました」。

 「私(巴那さん)はあの時から、お父さんとお母さんの所に帰れずにいます。私も見つけてもらったら抱っこしてもらいたい。でもその願いはかなわないみたい。だって、すっかり骨だけになっちゃったんだもの。でも、お父さん、お母さんの所に帰りたい…」。法廷では、すすり泣く声が多く聞こえた。

 当時小6だった大輔くんを亡くした今野浩行原告団長は「生きていれば今年の11月で20歳。大輔が大人になったら一緒に酒を飲み、腹を割って男の話をすることが夢でした。誕生日には墓前に酒を供え、大輔の納得のいく判決をさかなに、一緒に酒を酌み交わしたい、そう願っています」と述べた。

 控訴審で遺族側は「学校や市は災害発生前の平時から津波を想定した危機管理マニュアルを整備する義務を怠り、過失は重大」と指摘。1審では地震後の津波予見だけに責任が認められたため、今野さんは「控訴して『平時防災の責任』が審理され意義があった」と語った。

 原告代理人の吉岡和弘弁護士によると、石巻市は「津波避難計画」を作成していなかったと回答したといい、教育現場だけでなく、行政にも「重大な過失がある」とした。

 吉岡氏は「津波は来ないだろう」と考えていた当時校長と、「校長が何とかやってくれるだろう」としていた市教委について「もたれかかっているだけの組織的過失。全くの無策だった」と断じた。控訴審判決が事前防災義務の不履行を認めれば「画期的で学校防災の礎になる」と語った。市側は「当時の科学的知見では津波襲来を予見できずマニュアルに不備はない」と主張した。

 当時小3だった娘未捺さんを亡くした只野英昭さんは結審に「判決を期待したいが、裁判は過程で、そこから真実の検証が始まる」と話した。本来やるべき事は「対立ではない」とし、「被告側も同じ目線で、同じ方向を向いて、2度と悲劇を繰り返してはならないという活動をしていきたい」と語った。

 16年10月の1審判決は、地震後の津波予見が争点となった。津波襲来の約7分前までに学校前を通った市の広報車が高台避難を呼び掛けており「津波は予見できた」と判断。裏山に避難させなかった学校側の過失を認め、県と市に14億円余りの賠償を命じた。その後、双方が控訴した。

 大川小では津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となった。【三須一紀】