日本の台所と呼ばれた築地市場(東京都中央区)が6日正午、83年の歴史に幕を閉じた。関東大震災の被災を契機に、日本橋魚河岸から1935年(昭10)に築地に移転。そのバトンは今月11日、豊洲新市場(江東区)に引き継がれる。土壌汚染問題に揺れた豊洲市場への移転は、小池百合子知事の決断によって延期され「移転派」「反対派」という分断も起きたが、当初の予定より約2年遅れで開業する。

マグロの競りが始まる前、築地魚市場株式会社の吉田猛社長が「築地を世界の市場にのし上げてくれた諸先輩方や関係者の皆さまに感謝したい」とあいさつした。

最後の競りで出た一番マグロは162・4キロの青森県大間産で438万5000円(1キロ当たり2万7000円)で競り落とされた。値段は通常並みで関係者は「豊洲開場日の方がご祝儀価格が出るんじゃない」と笑った。

移転延期で分断が最も大きかった中卸売業者も、それぞれの最終日を過ごした。反対派の前面に立った「築地女将さん会」の山口タイさん(75)は「涙が出るほど悔しい。ここを壊されないように守る。明日からもここに居ます」と語った。「樋徳商店」を経営する夫博司さん(78)は早大4年時から家業を手伝い、50年以上働いた築地の最後に、涙をこらえた。先日、フランス人記者に「エッフェル塔を壊すようなもんだ」と言われた。「豊洲がもし汚染水問題などで使えなくなったらすぐ築地に戻る。だからここを壊しちゃダメだ」と訴えた。

東卸組合の執行部に名を連ね、対立する意見の調整に奔走した「山治」の山崎康弘社長(49)は「寂しい。本当に移転するのかなと思う」と目を潤ませた。それでも未来を見据える。「移転で50人の目利きが引退した。移転は我々の生活を一変させた。都には『世界一の市場をつくる』という気概をもっともってもらいたい」と厳しく言った。